2017年12月08日

京都宇治 萬福寺 水上勉「画文歳時記 折々の散歩道」より

作家・水上勉が伏見探草の輜重(しちょう)隊に徴兵され、練兵(行軍)演習の途中、宇治の萬福寺で大休止した時を回想した一文が「画文歳時記 折々の散歩道」に「黄檗山萬福寺」として収められている。
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黄檗山萬福寺の壮大な三門(山門)。三門前の放生池の周囲には多数の松が現在も植えられている。

<<宇治川沿いに下(しも)へくだったついでに萬福寺に詣でた。ここでもよく山門前の松の木に馬をつないだ夏を思いだした。ここまでくる日は、深草の練兵場を朝早くに出ないと昼食をとる大休止は出来なかった。むかしは馬に水をやるのには、川へ降りた。山門前に、ひき川のようなものがあって、水がながれていた記憶がある。(略)>>
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<<叉銃線(さじゆうせん*小銃の銃口を上にして交差させて立掛ける)をつくって一服していたら、女のひとがきて、叉銃線をよこ切った。それをみた兵卒は、「こらッ、重営倉ゆきやぞッ」と脅し声をあげた。地方人(といった)には、軍規はわからなかったろう。顔を赤くして小門から寺内へ駆けこむように走り消えたもんぺ姿のひとは、三十半ばだった。近所の人にちがいなかったろうが、いつまでもそのことが思い出の中に残っているのは、美貌だったせいだ。新妻かあるいは、戦争未亡人のような気がした。
あれから五十年近く経った。私も七十三になった。思い出もかすんでいるが、黄檗山(おうばくざん)の山門前に佇むと、そのような女のひとが浮んで厳粛な気分になるのは妙だ。
三年前に福建省の泉州に行った際、甫田の山ぎわにある黄檗山に詣でた。むろん、そこは隠元禅師の出所。とても小さな寺であった。宇治の萬福寺はそれと比べると大きい。とてつもなく大きい。>>
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山門前の馬に水を飲ませた「ひき川」が見つからなかったので、総門(三門の手前の小さい第一の門)の向い正面に掘られた龍目井で代用。将軍徳川家綱の治世であった寛文元年(1661年)冬に隠元禅師によって掘られた井戸。「山に宗あり、水に源あり、龍に目あり・・・」云々。この井戸前で、明治の文人夏目漱石・永井荷風・与謝野晶子らが必ず歩を止めて鑑賞したことであろう。画面左に彼らが訪れた普茶料理の名店「白雲庵」が現在も営業している。

水上勉リンク
京都 水上勉が贔屓にした京漬物店 出町なかにしhttp://zassha.seesaa.net/article/385952842.html
京都伏見 第十六師団第九連隊輜重隊跡 水上勉「私の履歴書」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/448183567.html
京都百万遍 梁山泊と思文閣MS 水上勉「画文歳時記 折々の散歩道」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/455218960.html
posted by t.z at 22:57| Comment(0) | 京都kyoto | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする