2009年11月22日

日比谷 日比谷公園 芥川龍之介「東洋の秋」より

1920(大正9)年4月発行の「改造」誌第4號に掲載された当初の題は「小品二種」で、小篇「沼」の後に「秋」という小篇が配されていた。後に「東洋の秋」と改題され、短編集「沙羅の花」等に収められた。
ひっそりとした秋深い日比谷公園を目的もなく心身に倦怠と疲労をかかえて主人公はさまよう。
「芥川龍之介全集第3巻」岩波書店1977年刊に収録分より抜粋。
<<おれは日比谷公園を歩いてゐた。
 空には薄雲が重なり合つて、地平に近い樹々の上だけ、僅(わづか)にほの青い色を残してゐる。そのせゐか秋の木の間の路は、まだ夕暮が來ない内に、砂も、石も、枯草も、しつとりと濡れてゐるらしい。いや、路の右左に枝をさしかはせた篠懸(すずかけ)にも、露に洗はれたやうな薄明りが、やはり黄色い葉の一枚毎にかすかな陰影を交へながら、懶(ものう)げに漂つてゐるのである。>>
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<<おれは籐の杖を小脇にして、火の消えた葉巻を啣(くわ)へながら、別に何処へ行かうと云ふ當(あて)もなく、寂しい散歩を續けてゐた。
 そのうそ寒い路の上には、おれ以外に誰も歩いてゐない。路をさし挾んだ篠懸(すずかけ)も、ひつそりと黄色い葉を垂らしてゐる。仄(ほの)かに霧の懸つてゐる行く手の樹々の間からは、唯、噴水のしぶく音が、百年の昔も変らないやうに、小止(をや)みないさざめきを送つて來る譯。その上今日はどう云ふ譯か、公園の外の町の音も、まるで風の落ちた海の如く、蕭條した木立の向うに静まり返つてしまつたらしい。―と思ふと鋭い鶴の聲(*声)が、しめやかな噴水の響を壓(*圧)して、遠い林の奥の池から、一二度高く空へ擧つた。>>
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<<おれは散歩を續けながらも、云ひやうのない疲勞と倦怠とが、重たくおれの心の上にのしかかつてゐるのを感じてゐた。寸刻も休みない賣文生活! おれはこの儘たつた一人、惱ましいおれの創作力の空に、空(むな)しく黄昏(たそがれ)の近づくのを待つてゐなければならないのであらうか。さう云ふ内にこの公園にも、次第に黄昏が近づいて來た。おれの行く路の右左には、苔の匂や落葉の匂が、濕(*湿)つた土の匂と一しよに、しつとりと冷たく動いてゐる。その中にうす甘い匂のするのは、人知れず木の間に腐つて行く花や果物の香りかも知れない。と思へば路ばたの水たまりの中にも、誰が摘んで捨てたのか、青ざめた薔薇の花が一つ、土にもまみれずに匂つてゐた。もしこの秋の匂の中に、困憊(こんぱい)を重ねたおれ自身を名残りなく浸す事が出来たら―
 おれは思はず足を止めた。おれの行く手には二人の男が、静に竹箒(たけぼうき)を動かしながら、路上に明く散り亂れた篠懸の落葉を掃いてゐる。(略)>>
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<<おれは徐(おもむろ)に踵(きびす)を返して、火の消えた葉巻を啣(くわ)へながら、寂しい篠懸の間の路を元來た方へ歩き出した。が、おれの心の中には、今までの疲労と倦怠との代りに、何時か静な悦びがしつとりと薄明く溢れてゐた。あの二人が死んだと思つたのは、憐むべきおれの迷ひたるに過ぎない。
寒山拾得(かんざんじつとく)は生きてゐる。
永劫の流轉を閲(けみ)しながらも、今日猶この公園の篠懸の落葉を掻いてゐる。あの二人が生きてゐる限り、懐しい古(こ)東洋の秋の夢は、まだ全く東京の町から消え去つてゐないのに違ひない。賣文生活に疲れたおれをよみ返らせてくれる秋の夢は。
 おれは籐の杖を小脇にした儘、気輕く口笛を吹き鳴らして、篠懸(すずかけ)の葉ばかりきらびやかな日比谷公園の門を出た。「寒山拾得は生きてゐる」と、口の内に独り呟(つぶや)きながら。
   ―大正九年三月―  >>

*篠懸(すずかけ)=プラタナスPlatanus。
*初出には、執筆日付の大正九年三月は省かれている。
*原文にルビ無し。(*)内は新字体を付け足し。
撮影は2006年3月(1枚)、2007年2月(2枚)。

芥川龍之介リンク
京都 芥川龍之介と宇野浩二の女買いの顛末記 http://zassha.seesaa.net/article/394984566.html
鎌倉 芥川龍之介の野間洗濯店下宿跡(和田塚) http://zassha.seesaa.net/article/22009376.html?1475175742
横須賀 横須賀線と芥川龍之介「蜜柑(みかん)」 http://zassha.seesaa.net/article/442379617.html
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