かって陸軍通信学校の校舎・兵舎が立ち並んでいた。
昭和12年8月より地主らとの買収交渉開始
昭和13年4月1日 通信学校駅 新駅として営業開始=現相模大野駅 まだ通信学校は山林状態
昭和13年7月9日 地鎮祭 大野村谷口の7万5千坪の敷地
昭和14年5月20日 陸軍通信学校転営式
大正14年に杉並区馬橋に創設された陸軍通信学校は、終戦までこの地で通信に関する学理・技術の教育を行ってゆく。尉官=甲種(10ヶ月間)、下士官=乙種(6ヶ月間)の各々の就学期間であった。
今では知る人も少なくなった伝書鳩の技術も教えていた。伝書鳩とは言わずに軍用鳩という名称で。
終戦後の昭和21年2月に、大塚の校舎を戦災で焼失した相模女子大学の前身・帝国女子専門学校が、
通信学校跡地を移転候補地に決定している。
昭和21年4月2日に、共立女子学園の間借り校舎より晴れて自前の校舎に全面移転が完了している。
校舎は荒地の中に陸軍通信学校の2階建て木造建物が残っており、昭和50年くらいまでに順次
鉄筋コンクリート校舎に建て替えていった。昭和53年の空撮写真を見るとほとんど新校舎ばかりに
見える。面白いのは旧通信学校の建物の配置や東西の向きがほぼ同じなのです。
陸軍通信学校の校域範囲は相模女子大の敷地よりも広く、市立谷口台小学校・県立相模台工業高校
・市営住宅などの区域をも含む広大なものであった。
当時の陸軍通信学校の施設の姿を伝える貴重な建造物です
小田急相模大野駅(旧・通信学校駅)この2階デッキが改札口
改築前はここより左よりに2階改札口への長い階段があった
写真の真後ろ付近でデビュー前のアマチュア時代「いきものがかり」が度々路上ライブ
参考資料は「相模原市史」「相模女子大学100年記念出版物」
あと女子大の親切丁寧な守衛所の係りの方に感謝 案内パンフレットに位置紹介有り
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