2010年12月08日

鎌倉 川端康成・高見順らの貸本屋鎌倉文庫跡

昭和20年4月5日に鎌倉在住の作家、川端康成・小林秀雄・高見順・中山義秀が久米正雄宅に集まり、戦争末期の状況下での収入の道を模索する会合がもたれた。
鎌倉ペンクラブのメンバーが協力できて、作家らにふさわしい事業ということで、各々の蔵書を持ち出して、それを貸し出す貸本屋を開業することに決定した。貸本店の場所は、川端康成夫人の知人の紹介で八幡通り(=若宮大路)にあった鈴木玩具店を借りることができ、昭和20年5月1日に「貸本屋鎌倉文庫」が開店する。北鎌倉駅近くに在住の高見順は、大量の本を乳母車に乗せ、夫人とともに八幡宮前まで運搬したエピソードが残されている。
昭和20年4月28日の朝日新聞2面の「青鉛筆」欄に鎌倉文庫の記事が載ったことで、予想以上の反響を得て、開業後は本不足に陥ってしまう。人気は小説で、とくに大佛次郎・吉川英治の作品が多く借り出されていた。開店後1ヶ月(5月分)の売り上げは好成績で、川端康成が各人の供出本の稼動成績が判る一覧表を苦労して作成したため納得のいく配当金分配が可能になったと伝えられている。
5月の配当金上位は、1位は久米正雄、2位大佛次郎、3位高見順、4位林房雄の順であった。
8月15日無条件降伏の敗戦をむかえた直後の8月29日に大同製紙から出版事業の計画が持ち込まれ、8月30日には貸本屋鎌倉文庫の東京貸本部創設の依頼があった。それぞれ株式会社鎌倉文庫(出版)、日本橋白木屋2階(元・東急百貨店、現・コレド日本橋)の貸本屋へと結実してゆく。その後、作家たちは徐々にその繁雑さから直接経営から身をひいてゆき、解散を迎えることとなる。
  「日本の名随筆50 本屋」より「貸本屋鎌倉文庫始末記」を主に参考
 
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昭和20年8月17日に蔵本を供出していた島木健作が肺結核のため死去。享年41。自宅での葬儀のあと貸本屋鎌倉文庫で告別式を執り行った。墓は北鎌倉の浄智寺。
posted by t.z at 03:10| Comment(0) | 鎌倉kamakura | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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