2006年05月09日

市ヶ谷 あぐり美容室(閉店)

2006年5月4日午後、芥川賞作家・吉行理恵さんが甲状腺がんのため都内の病院で死去したと7日報じられた。66歳。NHK連続テレビ小説「あぐり」の主人公吉行あぐりの次女で、兄は作家・吉行淳之介、姉は女優・吉行和子。
市ヶ谷駅近くで90歳を過ぎても現役美容師として店に立たれていた吉行あぐりさんの美容室が、理容室に変ってしまった。店の入口の外装は以前のままだが、看板の文字が理容室名に変ってしまっている。JR市ヶ谷駅改札を出て、右手の新坂沿いのビル(1Fが本屋)の1階奥だ。*閉店は昨年(2005年)。
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     ヘアーサロンSaitoのプレートの位置に、以前は「吉行あぐり美容室」の文字が並んでいた。

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吉行あぐりさんは、五番町グランドビルの斜め向いのビル(左写真のMS)に長期間住まわれており、この道路を横断して店(美容室)に通うのを常としていた。近所の顔見知りの人たちから、危険だから止めるべきだと注意を受けていたと長女の和子さんが自らのエッセイに書いている。坂上の信号までは上り坂、下の駅前の信号まで下っても、また坂を上ることになる・・高齢のあぐりさんでなくても横断したくなる。
右の地図は、1954年(昭和29年)に作成された火災保険特殊地図を参考にして、現在のビル群が建ち並ぶ前の様子を表してみたもの。吉行エイスケ・あぐり夫妻は上京にあたり、岡山の吉行本家より東京府東京市麹町区土手三番町(現・五番町)の土地130坪を買い与えられ、昭和4年6月に「山ノ手美容院」を開業する。「梅桃(ゆすらうめ)が実るとき」の67頁に、当時としてはモダンで斬新な設計の三階建ての「山ノ手美容院」の写真が掲載されている。
<<「戦争が烈しくなり、私の美容院は市ヶ谷駅に近いとの理由で、建物疎開をされ、仕事が出来なくなり、さらに戦火のため、住居の一切を失いました。」>>
<<「戦後市ヶ谷の焼け跡にバラックのような家を二軒建てて私たちの戦後がはじまった。(略)戦争が終わった昭和27年に、やうやく小さな美容院を、焼け跡の元の場所に作ったのです。」>>
<<「昭和54年に、私の小さな美容院のあるところは、周囲の土地と一括されて大きな建物が建つことになりました。」>>
このような経過で、1980年(昭和55年)11月に「五番町グランドビル」が竣工し、その1階部分に「吉行あぐり美容室」は入居、開店した。

吉行家リンク
「吉行あぐりさん 逝去」http://zassha.seesaa.net/article/412147570.html
「岡山 作家・吉行淳之介の墓」http://zassha.seesaa.net/article/346550974.html
「北青山 特法寺 吉行家の墓地」http://zassha.seesaa.net/article/312370517.html
「世田谷 作家・吉行淳之介 終焉の地」http://zassha.seesaa.net/article/387061049.html
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posted by t.z at 22:29| Comment(1) | 東京北西部tokyo-northwest | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私がいつもお世話になっている助産婦さんが、退職を機に大きな病院のグループからはなれて、ご自分が理想とされる助産院を今年開業されました。そのコンセプトがあぐりさんの美容室にそっくりで、今 亡くなられた後どうなっているのかなあ。。っておもい検索しましたら、こちらのサイトに伺う事ができました。 教えてくださってありがとうございました。 本当に外観はお名前を変えただけですね。どなたか、ご縁のある方が続けていらしゃるのでしょうか。なんだか嬉しく思いました。
Posted by Studio Hyacinth at 2016年10月16日 00:18
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