2011年04月27日

鎌倉坂ノ下 萩原朔太郎 海月楼跡

詩人・萩原朔太郎は、大正5年の12月に鎌倉坂ノ下の海岸際にあった旅館を訪れ、詩集「月に吠える」の編集を行い、翌年3月に去ってゆく。旅館の名は「海月楼」。遠い日々のことは忘れ去られ、詩的な名を冠せられた宿の存在も人々の記憶から失われている。
1916年(大正5年)31歳
        6月 室生犀星と「感情」創刊(通刊32冊まで)
        12月初旬 保養のため鎌倉長谷の「海月楼」に止宿
                (御所見村=現・藤沢市出身の長田氏が経営)
          前田夕暮・若山牧水が数日間の飲食・宿泊代をある時払いにしてもらったことを
          記述したため、文人らへの面倒見の良さが評判になっていた宿である。
          この前田夕暮の世話で「月に吠える」が白日社から自費出版が可能になった。
          この旅館で朔太郎は処女詩集「月に吠える」の編集(大正3年〜大正6年の詩篇)
          に入る。
          この頃、徒歩5〜6分のところの入地207番に住み、病を養っていた若き詩人日夏
          耿之介と知己になる。2ショットの写真が残っている。
         12月10日頃 詩集を印刷所に渡す為に上京。だがビアホールで酔い原稿紛失する。
          一時、前橋に帰る。

1917年(大正6年) 32歳 
         1月 引き続き鎌倉で保養。
         2月 第1詩集「月に吠える」自費出版刊行。費用300円 部数500部
           出版直前に内務省警保局より内達を受け、風俗壊乱に該当するとの理由で
           詩2篇を削除する。「愛憐」、「恋を恋する人」の2篇削除。
         2月下旬 鎌倉から引き上げる。
         3月7日まで、湯島天神近くの梅屋旅館に滞在。
         3月5日に森鴎外に「月に吠える」を捧げる。
             森鴎外、岩野泡鳴らから讃辞得る。
             日本象徴詩の至高を示す詩集との評価得る。
             この頃、芥川龍之介にも詩集を送り、文通を始める。
1922年(大正11年)
         3月 詩集「月に吠える」アルスより再版。削除された2篇を収める。    
1923年(大正12年)
          第2詩集「青猫」 刊行される。
  *「近代の詩人7 萩原朔太郎」潮出版1991年刊 の巻末年譜を主に参考。
hase umizuki01.jpg hase umizuki02.jpg
 「海月楼」跡。旅館当時の門柱と表札が貼付いていた跡が残っている。
   hase umizuki03.jpg hase umizuki04.jpg
鎌倉市の昭和36年版住宅地図を調べてみると、写真の住居位置は旅館経営者だった「長田」さんの名が記入されているのみで「海月楼」の名称は消えている。それ以前の詳細住宅地図は無かったため、いつまで旅館営業が行われていたかは不明。
 *削除された「愛憐」の一部
  <きっと可愛いかたい歯で、草のみどりをかみしめる女よ 女よ、このうすあおい草のいんきで、
   まんべんなくお前の顔をいろどって、おまえの情欲をたかぶらしめ しげる草むらでこっそり
   あそぼう、・・・略>
hase umizuki05.jpg hase umizuki06.jpg
写真の左背後が「海月楼」。大正時代の波打ち際で月光に浮かび上がる海月楼の姿を想像してしまう。

萩原朔太郎リンク
乃木坂 萩原朔太郎の「乃木坂倶樂部」http://zassha.seesaa.net/article/381746442.html
posted by y.s at 15:39| Comment(5) | 鎌倉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
海月楼の情報、ありがとうございます。
以前から探していましたが情報が少なくて。
文中、海月楼の経営者について書かれていますが、「近代の詩人7 萩原朔太郎」に掲載されている情報でしょうか。
Posted by minmin at 2012年02月16日 11:35
経営者名は「近代の詩人7」には記載されていなかったと思います。鎌倉市立図書館でコピーした鎌倉文学に関する案内書の「由比の里」P151にあった短い記述からです。タイトル名を控え忘れたため不明です。古い小冊子風の書物でした。位置は旧表示の番地から探しました。85番地で、年代の異なる地図には「長田」だけのものと「長田XX」とフルネームのものがありました。門の位置も記入されていて現在と同じ位置でした。「新潮日本文学アルバム」のP40に正面からの写真が載ってます。
先日の世田谷文学館での朔太郎展では、この辺の情報はありませんでした。なほ、朔太郎の代田の終焉の地や乃木坂の家など明確な情報がなくあいまいになってる場所についても写真撮影済みで、アップしてゆきます。

曖昧なままで置き去られてしまっている件にはつい執念を燃やしてしまいます。ゾルゲ事件のヒロイン石井花子さんのその後の経緯と終焉の地の取材も終わって、現在は芸能ゴシップネタのリーダー中島知子さんのマンション近くでスクープ写真とろうと頑張ってます。すぐそばに交番がありきついです。太った原因になった焼肉屋って交番の並びの店なのかな?
いつもの支離滅裂・・冗談混じりの返答で失礼しました。

Posted by 管理人 at 2012年02月16日 16:46
ご返答ありがとうございました。
また、希少な情報の詳細もどうもです。

1977年の航空写真では海月楼の大屋根の全体が確認できますが、1988年の写真には縮小されてしまっています。
現在も残る建物は正門側なので客室は切り取られた側と想像し、朔太郎氏の滞在当時に思いを馳せたものです。

http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/77/ckt-77-1/c26/ckt-77-1_c26_11.jpg
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/88/ckt-88-2/c14/ckt-88-2_c14_21.jpg

現在、当時の敷地よりも大分小さくなってしまっているのは、相続税で物納したと地元の老人に聞いたことがあります。

支離滅裂でも良いじゃないですか。楽しいし。
では、失礼します。
Posted by minmin at 2012年02月17日 11:50
minminさんへ
資料ありがとうございます。
管理人が参照した2種類の住宅地図は昭和30年代前半(1950年代後半)のもので敷地は周囲と比べても広めでした。建屋の大きさまでは記入はなかったので、上記の航空写真は助かります。
朔太郎ファンの方がかなり多いのは昨年末の生誕125年記念展の入場者で確認できました。小説「猫町」をかなりプッシュしてましたので下北沢散策(朔太郎の下北の旧居周辺)する方が多くなりそうです。
航空地図でもうひとつ楽しみがあります。
朔太郎が滞在中に親交を結んだ詩人・日夏耿之介の住居が上空から見えます。
もちろん建物は建て替えられてますが、長谷駅のすぐ近く(駅改札前の道路の西側)、踏み切りの北側の線路沿い=こげ茶の屋根が2軒ある所で、どちらかは調査不足で不明ですが、海月楼まで徒歩4分くらいです。

明後日(2月20日)は小林多喜二の命日で、赤坂での特高による捕縛現場をなんとかアップしようとあせってますが、特定不可能みたいです。地下活動中で日共側の資料でも知られていること以上の情報はなく、特高警察側のものは新聞記事と同レベルです(というか廃棄済み)。逮捕協力した民間人の日記等もないしお手あげ中です。

関係なくて申し訳ないです。
朔太郎関連は引き続きアップします。また情報やミスの指摘などよろしくお願いします。

Posted by 管理人 at 2012年02月18日 00:47
 大正生まれだった亡父が、子供の頃から学生時代まで、毎年夏を過ごしていたのがこの海月楼でした。折に触れて話に出てきたので、何となく名前を覚えておりました。また海水浴の写真もありました。
 たまたま父の遺品の中から小学3年生の夏休みの日記がでてきて、それを私のFacebook「本に囲まれて」のページで紹介しました。「海月という旅館と書いてありますが、いまはもうないようです」と書きましたら、それを読んだ方から、このBlogに海月のことが書いてあると教えていただきました。ありがとうございます。これでまた父の思い出がひとつ具体的になりました。
 父は散歩が好きで、東京の坂を研究しており、学生時代は本郷に住み、結婚してからは麻布一本松、青山と住居を映しました。また鎌倉では有島一族や里見クとも親交があり、お訪ねする機会も多かったようです。そんなことからBlogにお書きになった地名とは、たくさんご縁が出て来るような気がしております。これから時々楽しみに読ませていただきます。
Posted by 河崎早春 at 2014年07月21日 16:03
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