小瀬甫庵「太閤記」巻十二に降伏の模様が書き残されている。
「氏政氏照兄弟切腹之事」より抜粋。
<<哀乎痛乎(あはれなるかな、いたましきかな)。盛者必衰之習(ならい)、昨日七日までは数万騎之主として有しが、今日は引かへ七月八日(*北条記など九日とするものが多い)医師安清軒が宅(*安斎小路に住居、現在の南町)に移り、浮世之日数迫り来て、時を待(まつ)有さま物に越て哀なり。関白殿仰けるは、今度是(これ)まで数十万騎寄(よせ)来りしも、北条家を可打果(うちはたすべき)ためにて有ぞかし。然るに氏政以下悉(ことごと)く助なば、兼ての言葉も空しきに似たり。氏政氏照には切腹させ、氏直兄弟(*1)は可相助旨家康卿へ御相談ましませば、尤(もっとも)宜(よろ)しき御事に奉存由に付(つき)て、検使(けんし)をぞ定(さだめ)られける。(略)>>
(*1)7月5日付の北条氏直宛の秀吉朱印状には、「親候氏政(*第五代領主左京太夫氏政)并(ならび)陸奥守(*氏政弟の氏照)、大道寺(*駿河守政繁)、松田(*尾張守憲秀、大道寺と松田は北条家老臣)四人諸行ニテ表裏之段、聞合被居候条、両四人腹ヲ切ラセ」とある。
(写真)北条氏の氏寺伝心庵跡地に再整備された墓域。五輪塔に附けた名称は全て(伝)である。
また「北条記」巻第六によれば、切腹の介錯は、北条美濃守氏規(うじのり*氏政の弟、韮山城主として10倍以上の秀吉軍と抗戦)と書かれ、「御首を討て落し、即ち自害に及ぶ処に、井伊兵部(*直政)走り寄り抱きとりて助け申。」と田村安清軒宅での粛清の模様を伝えている。自害を止められた氏規は、その後北条氏直に伴って高野山に蟄居させられるが、翌年(天正19年)秀吉に許されている。
(写真)北条氏政・氏照が切腹した平らな生涯石。医師田村安清軒の旧地より運んだものなのだろうか。
これも(伝)にしておこう。
(写真)北条氏政・氏照の戒名が刻られた笠塔婆墓碑。撮影は2010年5月。
「太閤さま軍記のうち」(太田牛一著*「信長公記」著者)には、両四人切腹以外に笠原新六郎の名が連なっている。
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