2011年12月08日

府中 遠藤周作の墓 瀬戸内寂聴「奇縁まんだら」より

<<場所は京都の法然院であった。本堂の方へ行く庭の真中で、ふっと立ち止った遠藤さんが、
「寂聴さん、死ぬの怖くない?」と訊いてきた。
ひどく生真面目な表情の遠藤さんが首をのばし、遠く空の方を見上げている。
「なぜだか、あんまり怖くないのよ。たくさん好きな人が向うへ行ってしまったからかな」
「ふうん、ぽくはとても怖い。死ぬのは厭だ」
「だって遠藤さんは熱心なカソリックの信者なのに?」
「うん、それでも怖い! 死ぬのは厭だ」
その日も遠藤さんは、自分の信仰は母上から無理矢理着せられたお仕着せだから、未だに身
につかないと、ため息まじりに言った。
あの元気だった遠藤さんが、重い病気になっていると聞いて以来、私は動揺して、お見舞に
行くのもためらわれた。
順子夫人(*旧姓岡田)がそれこそ至れり尽せりの介護をしていらっしやることは伝っているので、
その点は何も心配することはない。それでも、どんなに辛いだろうと思うとたまらなかった。
そんな時、遠藤さんが私と対談してもいいと言っているという話が舞いこんだ。
私はすぐ上京して、指定された場所へ行った。専らの噂では、遠藤さんは、自分の家で透析しているほど
重病で、すっかり衰弱しているという。伝えてくれる編集者たちの誰の目も言外に回復の見込
みはなさそうだと語っている。
先に着いて待っている場所へ遠藤さんが、頑丈な体つきの編集者に抱きかかえられてきた。
私はその様子と顔を見て、ショックで体が震えるのを必死で人に気づかれまいと身構えた。こ
れがあの陽気でホラ吹きの遠藤さんだろうか。すっかり面変わりしていて、あのスマートな体
つきが、痩せて今にも折れそうに頼りなくなっている。笑いかけようとしてくれる顔が歪んで
泣き顔になった。
やっと座に坐ってからは、対談というより、遠藤さんの一人語りを、私が聴くとぃう型になった。
「吉行(*淳之介)が死んでしまったのが一番こたえた。まさか、あいつがあんなに早く死んでしまうなんて・・・・淋しいなあ、みんな逝ってしまって」
私は少しでも気を引き立ててもらおうと、最後の作品となるであろう『深い河』の話をした。
(略)
それが、遠藤さんと逢った最後になった。
病苦は想像の外のものだったらしい。ある日、病床で遠藤さんが順子さんに向って、
「自分は神さまを本当に熱心に信じて、あんまり悪い行いもしないで、一生懸命小説を書いて
きただけなのに、どうして神さまはこんなに辛い病苦をお与えになるのだろう」
と弱音を吐いたことがあるという。その時、順子さんが、
「神さまは、ヨブをあなたに書かせるために、ヨブの苦しみの一部を味わわせなすったのよ」
と励ましたら、いきいきした顔になり、
「そうだ! ヨブを書く仕事が残っている」
と声に出したという話を、亡くなった後で、私は順子さんに伺った。>>
   「奇縁まんだら」瀬戸内寂聴 2008年日経新聞出版社刊より抜粋
   (* )は原文には無し
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1996年(平成8年)9月29日午後6時36分、腎臓病治療で入院中の慶應義塾大学病院(信濃町)で死去。
73歳。死因は肺炎による呼吸不全であった。
同年10月2日、四谷の聖イグナチオ教会で葬儀ミサ・告別式。棺には遺志に基き「沈黙」「深い河」の二冊が入れられた。
遺骨はカトリック府中墓地にある遠藤家の墓に埋葬。墓誌に記されている洗礼名パウロは、兵庫県西宮市の夙川教会聖テレジア大聖堂で受けたもの。
Paulos S E 02.JPG
カトリック府中墓地の主通路にある十字架。遠藤周作氏は、この十字架の傍ら近くに眠っている。

参考 「遠藤周作文学全集15」新潮社2000年刊
遠藤周作リンク
長崎・平戸周辺 遠藤周作「沈黙」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/447360739.html
posted by y.s at 23:54| 東京郊外tokyo-suburbs | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする