<<中学三年も二学期の後半にさしかかると、さすがにぼちぼち進路のことが気になり始める。特にH中学という泣く子も黙る無法中学にいると、果たしてまともに高校に行けるのだろうかと本気で心配になってくるのだ。
僕が入学したF高校は、二つのことで有名だった。一つは、日本で最初に学園紛争を行った高校だということだ。大学ならともかく、高校となると、紛争があったということ自体が珍しい。しかも本格的にバリケードなどを作って、生徒が籠城したというのだから楽しいではないか。(略)
さてその紛争における生徒側の要求だが、それは制服の廃止だった。そして、それこそがまさに、我がF高校のもう一つの有名事だった。つまりこの時の紛争で生徒側の要求が通り、F高校は日本で最初の服装自由高校となったのである(と、僕たちは聞かされていたが、じつをいうと確信はない)。>>
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<<我々の学校では、各教室にそれぞれ更衣室がついていた。教室の後ろに小部屋があって、中には各自のロッカーが並んでいる。女子生徒たちはその中で、しよつちゅう服を交換するのだった。だから午前と午後で服の違う者などはざらで、ひどいのになると、毎時間服をかえていた。そうして一番気に入った服を借りて、放課後のデートヘ出かけていくのだった。
高校二年の時、女子の更衣室に入らせてもらったことがあるが、小さなドレッサーに姿見、そしてファンシーケースまで置いてあった。いったいどうやって運びこんだのだろうと不思議に思った。さて女子が更衣室でせっせとおしゃれをしている時、男子は何をしていたか? これはいうまでもない。彼女らを覗いていたのである。>>
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<<それは高校に入学して間もなくの頃だった。長姉が一冊のハードカバー本を持って帰ってきた。『アルキメデスは手を汚さない』というタイトルのその本は、小峰元という人が書いて、江戸川乱歩賞なるものを受賞した作品であるということだった。だが当時の僕は、江戸川乱歩という名前さえ全く知らなかった。そこで長姉に訊いてみた。彼女は自信たっぷりに答えた。「推理小説を広めた帰化人で、本名はエドガー・アラン・ポーや」 ふうんそうかと、僕は感心して頷(うなず)いた。救いがたいアホ姉弟である。>>
府立阪南高校 大阪市住吉区庭井2丁目18-81
東野圭吾「あの頃ぼくらはアホでした」1995年3月集英社刊(集英社文庫1998年版より
大阪・生野区 作家・東野圭吾 実家跡と出身小学校http://zassha.seesaa.net/article/243297646.html
大阪・生野区 作家・東野圭吾の出身中学校http://zassha.seesaa.net/article/243793455.html
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