2011年12月29日

大阪・生野区 作家・東野圭吾 実家跡と出身小学校

大阪出身のミステリー作家・東野圭吾(ひがしの・けいご)氏(1958年生まれ)が、在学中(小・中・高)に残した数々のエピソードを、その作品(「あの頃ぼくらはアホでした」1995年3月集英社刊)からピックアップ。実家・小学校篇。
<<その夜両親は、二流高校二流大学と進ませて金を無駄にするよりは、どこかへ丁稚(でっち)奉公
に出した後、専門学校に通わせ、将来家業を継がせたほうがいいのではないかということを真剣に話し合っていた。家業というのは時計や貴金属などの小売り商だ。こういうと聞こえはいいが、実態はどこの町にも一軒や二軒は必ずある、冴えない小さな時計屋である。三越のティファニーみたいな店を想像されると、ちょっと困るのだ。>>
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 (左右写真)実家の時計メガネ貴金属店「貴宝堂」跡。現在はビルに建替えられている。この地が東野圭吾氏の少年期(小学校・中学校)の舞台。
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(左右写真)実家周辺の個人商店の佇まいは、東野氏少年時代のままのよう。大通りに出る角地には喫茶店もある。作品中に描かれている通り、路上駐車できる道幅はない。
<<僕が通っていた小学校は、家から歩いて数分のところにあった。そしてその小学校の隣には小さな神社があり、正月や祭りになると、その前にずらりと夜店が並ぶのだった。
今でも元日にはそこへ初詣に行くのだが、ついでに大阪名物のイカ焼き(注・イカの姿焼きにあらず)を食べるのが、年に一度の楽しみでもある。>>
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(左右写真)第134回直木賞作家を輩出した大阪市立小路小学校。
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(左右写真)「小学校の隣には小さな神社」と東野氏が描写した通り、小学校と接して大樹に囲まれた清見原神社が存在する。

東野圭吾「あの頃ぼくらはアホでした」1995年3月集英社刊より抜粋

大阪・住吉区 作家・東野圭吾の出身高校http://zassha.seesaa.net/article/239445115.html
大阪・生野区 作家・東野圭吾の出身中学校http://zassha.seesaa.net/article/243793455.html
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posted by t.z at 18:59| Comment(2) | 大阪osaka | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
懐かし界隈です。
Posted by すみえ at 2024年06月09日 20:07
懐かしい界隈です。友人の実家が、その近隣だったので。学生の頃
何度か遊びにいきました
Posted by すみえ at 2024年06月09日 20:15
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