<<僕には二人の姉がいるが、長姉が小学校を卒業する直前、うちの母は何人かの人から同じような質問を受けた。それは、「おたくのおねえちゃん、どこの中学に行きはりますのん?」というものだった。
「そらH中ですけど」と、そのたびに母は答えた。H中というのは、我々の地区にある市立の中学校だ。そこに娘を通わせることに、母は何の疑問も抱いていなかった。母の答えを聞いた人たちは、一様に同じ反応を示した。まず一瞬驚いた顔をし、次に本気かどうかを疑う眼になるのだ。>>
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<<この頃H中は、泣く子も黙る無法地帯になっていたのである。姉の証言によると、その無法状態を作りだしていたのは、姉たちよりも学年が二つ上の生徒たちだった。のちに「恐怖の十七期生」と呼ばれるこの先輩たちの暴れぶりは、とにかくすさまじかったらしい。乱闘は日常茶飯事、繁華街で補導されるなんていうのはかわいいほうで、万引きや恐喝などで捕まった生徒を、教師と親が引き取りに行くなんてことはザラだった。トイレは常に煙草臭く、廊下は賭博場と化し、体育館の裏はリンチ場になっていたという。暴行を受ける教師も跡を絶たなかった。(略)
両親は結局、下の姉も僕もH中に入れてしまうのである。一体何を考えていたのであろうか。どうやら、喉元過ぎれば熱さを忘れるのパターンで、長姉が不良にもならずに何とか中学校生活を乗り切ったのを見て、まあいいやという気になったらしいのだ。両親が油断したもう一つの理由として、H中の評判が少しずつ回復に向かっていたという点があった。あの十七期生以後、それほど悪い学年は登場しなかったのだ。実際僕が入学した時も、学校全体から悪の臭いがたちこめる、なんてことはなかった。>>
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<<こうして僕もまたH中に通いだした。しばらくは何事もなかった。たしかにガラの悪い学校ではあったが、それも馴れてしまえば居心地の良さに変わるのだ。だが天災と同様、人災もまた忘れた頃にやってくる。「恐怖の十七期生」の記憶が学校関係者の頭から消えかかる頃、突然その再来ともいうべき、どーしようもない生徒たちが現れたのである。彼等は「狂気の二十四期生」と呼ばれた。H中に再び暗黒の時代が到来したわけだ。その二十四期生とはほかでもない、僕のいた学年だった。(略)
中学三年というのは、いろいろとややこしい時期だ。何がややこしいかというと、肉体と精神のバランスがとれていない点である。(略)
僕の隣に座っていたW田という生徒が、数学の授業中に突然うんうんと唸りだしたことがある。何事かと思って訊いてみると、彼は机に身体をぴったりと密着させたまま、「しぼめへんねん」と答えた。
「しぼめへん? 何が?」
「これが」
W田は左手で机の下を指した。それで机の下を覗きこんでみると、彼はズボンのファスナーを開け、むさ苦しい一物をほうりだしていた。それは丸大ハムのごとく膨れ上がり、今にも机を押し上げそうな勢いで、そそり立っていた。
「なんで数学の授業中に立つんや」と僕は訊いた。わからへん、とW田は答えた。急にこうなったのだという。やがて彼は斜め前に座っていたワル仲間の女子に声をかけた。
「おい、M子」
M子と呼ばれた女子は、なんやうるさいな、という顔をして振り返った。
「ちんちん揉んでくれ」とW田はいった。
不意をつかれたらしく、M子は少しの間だけ沈黙した。しかし結局は顔色ひとつ変えず、まぶたアイシャドーを塗った瞼を二度ゆっくりと閉じると、
「水で冷やしたれや」
と、ぼそりといい、何事もなかったかのように前を向いた。>>
東野圭吾「あの頃ぼくらはアホでした」1995年3月集英社刊より抜粋
大阪・住吉区 作家・東野圭吾の出身高校http://zassha.seesaa.net/article/239445115.html
大阪・生野区 作家・東野圭吾 実家跡と出身小学校http://zassha.seesaa.net/article/243297646.html
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関西方面が好きで、旅行がてら写真を撮ってまわった次第です。出身小学校名がわかると通学範囲も限定されますので、その年代に該当する住宅地図で簡単に見つけられます。西長堀の市立中央図書館に各年代の地図がそろってます。
東野氏の「あの頃ぼくらは〜」にはかなり具体的な記述が多いので、逆に探そうという気になったのです。出身大学もカメラに収める予定でしたが、遠かったので簡単に挫折・・・あきらめが早いのです。