2012年07月31日

京都 高野悦子「二十歳の原点」 京都国際ホテル男子寮跡

栃木県那須郡西那須野町に誕生した高野悦子は、1967年4月に京都の立命館大学文学部史学科に入学する。そして京都での学生生活のうち1969年1月2日から同年6月22日までに記された日記が、彼女の死後「二十歳の原点」と題して遺族から出版されベストセラーとなり、その原作は映画化もされました。
この高野悦子が学生生活を送った数年間は、京都に限らずほぼ全国の大学で学生運動が最も激化した時期と重なっている。1970年を前にしたこの時期、現在では想像も出来ない深い絶望感が何万という若者達に満ちていたと思います。なにも無くなった透明な静けさのような中に皆しばらくのあいだ置かれていたはずです。彼女はそこからはいでることなく消えていってしまったと思います。男との関係が直接的なきっかけとなっていたとしてもです。

原作からの抜粋と<>内は要約

  <1969年3月1日から京都国際ホテルでウエイトレスのアルバイトを開始>
3月8日 二月の最後の一週間は、それこそ何もせずコタツに入ったきりの自慰的生活でした。そしてこの一週間、三月一日から夜のアルバイトや本を読む気が起こりまして、ただ今、小田実「現代史1」を読んでいます。
  <この日の記述で映画「気狂いピエロ」監督J・L・ゴダールに関する記述有り。彼女も観たのだろうな。管理人が唯一部屋の壁に飾っていた映画ポスターです。ゴダールに狂ってました。>
  <下宿の移転に関する日記の記述なし。4月4日の項になって移転先の周辺の描写有り。3月末に移転か?丸太町御前通の交差点が近い住宅地の下宿(川越方)に移る。ここが彼女の最後の下宿になる。>

4月4日 この近くには菓子屋は沢山あるが、八百屋は全くない。不便!質屋が二軒もあるので、これから何やらお世話になるだろう。
  <下宿の前の路地をはさんだ向かいに質屋があった。現在も営業中>

4月22日(20日の記述)毎日鈴木のことばかり考えている。鈴木と唇をあわせたり力強くだきあったり・・・(略)・・・立命館大学の学生であること 京都国際ホテルで日雇い労働者として働いていること 鈴木にすべての幻想をつぎこんでいるということ・・・

5月4日 二十七日、中村氏と呑みに出かける以前と以後では、私との繋がりにおける鈴木と中村氏との関係はお互いに逆転していたということが確認点のひとつ。
  <4月27日にバイト先の同僚中村とスナックで呑み明かし、火遊び的な関係を持つ。だが中村にはデートする女がいることを感じている>

5月11日 九日、中村氏は仕事の始まる前パントリーにいた。会えてうれしかったのに、私はそっけないそぶりをした。何故?何故?そのあと吉村君から中村氏にはステディな関係にある女の子がいるときいた。相当なショック。

6月2日 中村とのリレーション。四・二七、五・一三、五・一九、御所で二回あい、テレを数回。一体、彼との結びつきはどんな関係であったのか。彼との結びつきは単に肉体のみであったのかもしれない。とにかく決別だ。

6月17日 雨 中村の目の前で働きながら私は何もできなかった。中村にとり私がやっかいものの存在であるのは、私が中村に重苦しいものを求めているからであろう。
メモ 6月18日 さようなら まずこの言葉をあなたに言います。

6月22日  <最後の日記に旅立ちの詩が残されています>

1969年6月24日付け京都新聞夕刊の下段に小さい記事が報じられた。
<娘さん、線路で自殺>時刻は24日午前2時36分頃、中京区西ノ京平町の国鉄山陰線天神踏切西の20mで上りの京都梅小路駅行貨物列車に飛び込み即死。西陣署で調べているが、年齢15〜22歳、身長1・45mでオカッパ頭、面長のやせ型、薄茶にたまご色のワンピース。身元不明。>
koryo01.JPG koryo02.JPG
「中村」(仮名)の居住していた京都国際ホテル男子寮跡。彼女は死の数時間前に不在の「中村」を訪ねているといわれてます。この男子寮は解体され、2012年現在、駐車場です。 藤田観光グループ経営の京都国際ホテルは彼女がバイトしていた当時のままの場所・建物ですが(二条城前・全日空ホテル隣り)、内部構造は当然のごとく改装されており、この4〜5年の間にさらなる大幅な改装が実施される予定が発表されてます。
koryo03.JPG map koryo01.jpg
道路から少し奥に玄関があった 彼女はこの場所に立ち尽くしていた・・・かもしれない
お隣のH邸は現在も京都らしい佇まいで彼女が訪れた当時の風景を残しておいてくれてます。(おそらくです)
             20y01.jpg
「二十歳の原点」(「はたち」ではなく「にじゅっさい」)の文庫本は昭和54年に新潮社から発行。 
*高野悦子に関連するポイントは別項で作成しリンク張ります(川越宅跡・立命館跡・しゃんくれーる跡・ダウンビート跡・山科寮・その他
 
【関連する記事】
posted by t.z at 04:22| Comment(5) | 京都kyoto | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なぜ今頃中村が住んでいた男子寮なのですか?
中村は、高野さんの自死から確か4年後に癌で死亡しました。
「中村」も原点に追い込まれました。
苦しみ死にました。
合掌。
Posted by 団塊世代ベンチ組 at 2012年10月25日 21:48
貴重な情報ありがとうございます
<なぜ今頃中村が住んでいた男子寮なのですか?>
高野さんが亡くなられて40年以上の月日が過ぎ去りましたが、未だに新しい読者が生まれ続けていると聞きます。管理人もその部類です。川越さん宅も取り壊され、現在Aさん宅がその跡地に建っております。新潮文庫版しか読んでおりませんが、彼女が歩いた場所などに興味を持ち、彼女の世界を追体験する意味で探しまわりました。知られている場所や、川越さん宅など現在お住まいの方に迷惑がかかると思われる情報はアップしない方針です。現在でも文庫版を時たま部分的に読み返しています。四条大宮から千本通に向かうバスに乗ると、彼女が40数年前に車庫前でデモした光景を思い浮かべてしまいます。<なぜ今頃?>・・今もこの書物のファンで繰り返し読み続けているからです。
Posted by 管理人 at 2012年10月26日 00:34
中村は、西の宮出身です。
スピードスケートの国体強化選手でもあり
体格も申し分なく、真っ白なコック服が似合いました。当然の様に女の娘には、モテマシタ。
「原点」が高野さんの情報で埋まるのは、仕方ありませんが「中村」の立場から見た「原点」はどうなのか!情報を書き込みます。管理人さん宜しくお願いします。そして早速取り上げてもらい有難う御座います。
Posted by 団塊世代ベンチ組 at 2012年10月26日 22:50
団塊世代ベンチ組さんへ。

大阪の45歳男で、二十歳の原点を18年前に立命OB上司に渡され読みました。

「原点」に出てくる中村さんをご存知なのですね。

驚きました。中村さんもやはり立命だったんでしょうか。
Posted by ウルルン at 2013年06月22日 11:51
ウルルンさんへ
中村は、学生ではありません。
見習いのコックでした。
Posted by 団塊世代ベンチ組 at 2013年10月15日 16:57
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。