「楽屋噺」昭和4年世界探偵小説全集の乱歩集跋文より抜粋。
<<当時まで、私は天井裏というものを一度も見たことがなかったので、大阪の自分の家の天井を叩き廻って、釘づけになっていない所を探すと、好都合にも、床の間の天井が多分電燈工夫の出入場所であろう、押して見ると、グワグワしている。その癖に妙に重い感じなので、多少気味悪々なおも押すと、ゴトンと音がして、板の上に重しの石がのせてあることが分った。その時の気持をいくらか誇張して、そっくり小説の中に使ってある。それから、板をはずして、首丈けを真暗な天井裏に差入れて、見廻すと、なんと仲々捨て難い眺めなのだ。私はその屋根裏の景色を、半時間も楽しんだものであるが、それがあの小説の長々しい叙景になっている訳です。>>
(写真)守口町外島694番の実父の木造二階建て家跡。奥にみえるのが京阪国道。
乱歩が天井裏へ首を入れて屋根裏を眺めた推定位置に赤丸で印。手前の隣家が当時は空家で、
乱歩は二階を執筆部屋に使用していた。右側に小川が流れていたが暗渠に。
江戸川乱歩「貼雑年譜」1989年刊より守口町外島(そとじま)の家見取り図。
見過ごしそうだが、天井裏を覗いた位置が印されている。赤丸印で写真と対応できる形にした。
<<この家と隣の空家とに住んでいたので「心理試験」「屋根裏の散歩者」をはじめ初期の短編小説は大部分この家又は隣家の空家の二階で執筆した。>>「貼雑年譜」より
(写真)乱歩家の斜め前の小川が流れていた位置に表示板が設置されている。
「屋根裏の散歩者」大正14年8月新青年増刊号初出、新潮文庫版から抜萃。
<<東栄館の建物は、下宿屋などにはよくある、中央に庭を囲んで、そのまわりに、桝型(ますがた)に、部屋が並んでいる様な作り方でしたから、したがって屋根裏もずっとその形につづいていて、行き止まりというものがありません。彼の部屋の天井裏から出発して、グルッとひと廻りしますと、また元の彼の部屋の上まで帰ってくるようになっています。下の部屋々々には、さも厳重に壁の仕切りができていて、その出入口には締まりをする為の金具まで取りつけてあるのに、一度天井裏に上ってみますと、これはまたなんという開放的な有様でしょう。誰の部屋の上を歩き廻ろうと、自由自在なのです。もしその気があれば、三郎の部屋のと同じような、石ころの重しのしてある箇所が方々にあるのですから、そこから他人の部屋へ忍びこんで、盗みを働くこともできます。廊下を通って、それをするのは、今もいうように、桝型の建物の各方面に人眼があるばかりでなく、いつなん時ほかの下宿人や女中などが通り合わさないとも限りませんから、非常に危険ですけれど、天井裏の通路からでは、絶対にその危険がありません。
それから又、ここでは、他人の秘密を隙見(すきみ)することも、勝手次第なのです。新築とはいっても、下宿屋の安普請のことですから、天井には到る所に隙間があります。――部屋の中にいては気がつきませんけれど、暗い屋根裏から見ますと、その隙間が意外に多いのに一驚を喫します――稀には、節穴さえもあるのです。
この、屋根裏という屈指の舞台を発見しますと、郷田三郎の頭には、いつの間にか忘れてしまっていた、あの犯罪嗜好癖がまたムラムラと湧き上ってくるのでした。この舞台でならば、あの当時試みたそれよりも、もっともっと刺戟の強い、「犯罪のまね事」ができるに違いない。そう思うと、彼はもう嬉しくてたまらないのです。どうしてまあ、こんな手近な所に、こんな面白い興味があるのを、今まで気づかないでいたのでしょう。魔物のように暗闇の世界を歩き廻って、二十人に近い東栄館の二階じゅうの下宿人の秘密を、次から次へと隙見して行く、そのことだけでも、三郎はもう十分愉快なのです。(略)
こうして、数日、彼は有頂天になって、「屋根裏の散歩」をつづけました。そのあいだには、予期にたがわず、いろいろと彼を喜ばせるような出来事があって、それをしるすだけでも、充分一篇の小説ができ上がるほどですが、この物語の本題には直接関係のない事柄ですから、残念ながら、端折(はしょ)って、ごく簡単に二、三の例をお話しするにとどめましょう。(略)>>
(写真)大阪堂島の毎日新聞大阪本社跡(現在は堂島アバンザ)に置かれた説明板から毎日新聞ビル。
アバンザの広場に重厚な毎日新聞1階玄関部分がモニュメントとして残されている。
乱歩(本名平井太郎)は、大正12年7月から営業部員として勤務していた。
江戸川乱歩リンク
谷中 煉瓦塀の荒屋(あばらや) 江戸川乱歩「妖虫」からhttp://zassha.seesaa.net/article/381026359.html
麻布竜土町 明智探偵事務所をさがしてhttp://zassha.seesaa.net/article/381667672.html
名古屋・栄 白川尋常小学校跡 江戸川乱歩 「私の履歴書」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/443495724.html
上野 上野動物園 江戸川乱歩「目羅博士」より http://zassha.seesaa.net/article/447350572.html
【関連する記事】
- 大阪 楞厳寺 織田作之助の墓 太宰治「織田君の死」・吉村正一郎「織田作の墓」より..
- 大阪 大坂城天守前広場の作家・海音寺潮五郎 井伏鱒二「入隊當日のこと」より
- 大阪北浜 淀屋橋 落語「雁風呂」六代目三遊亭圓生より
- 大阪・釜ヶ崎 三角公園 野坂昭如「マッチ売りの少女」より
- 大阪船場・御霊神社 御霊文楽座 谷崎潤一郎「青春物語」より
- 大阪西成 映画「太陽の墓場」(大島渚監督)釜ヶ崎ドヤ街ロケ
- 大阪天満 川端康成生誕地 短編「葬式の名人」より
- 大阪難波 一芳亭のしゅうまい 吉本ばなな「ヨシモトバナナコム2」より
- 大阪南 旅館(待合)千福とカフエ・ユニオン 谷崎潤一郎「芥川龍之介が結ぶの神」よ..
- 大阪 大坂冬の陣 真田出丸
- 大阪 通天閣 川上弘美「ニシノユキヒコの恋と冒険」から
- 大阪 かやくめし「大黒」 小津安二郎の「手帖」から
- 大阪 宗右衛門町界隈 池波正太郎「大阪ところどころ」より
- 大阪 天保山 日本一低い山の座譲る
- 大阪 菓子司 鶴屋八幡本店 小津安二郎の「手帖」から
- 大阪 美々卯本店 小津安二郎の日記から
- 大阪 道頓堀 いづもや 織田作之助「夫婦善哉」より
- 大阪 木の實 織田作之助の短編「大阪発見」から
- 大阪 阿部定の足跡 飛田遊郭・御園楼
- 大阪 山内法律特許事務所(近代建築)