2012年11月30日

鎌倉 漫画家横山隆一旧居跡 「鎌倉通信」より

1937年(昭和12年)より戦中戦後を過した鎌倉市大町の家から、1949年(昭和24年)10月、小町215番地に転居した(現、御成町15−11)。  
横山隆一のエッセイ集「鎌倉通信」1995年高知新聞社刊より、御成町の自宅を描写した部分を抜萃。
<<私の家の門は風変わりな鉄門である。喜怒哀楽の表情を描いて、それをもとにして鉄工所で作ってもらった。もう四十年になるが、まだまだ使えそうだ。変わった門だから、個人の住居とは見えないようである。したがって、はじめて訪ねて來る人はまごつくことが多いとみえる。家の前の公衆電話から私の家を教えてくれと電話してくる人もあった。私の家の前に居ることに気がつかないのである。
「あなたはどこから電話していますか」と聞くと、
「鎌倉市役所前の電話ボックスです」
私がガラス戸を開けると、二十メートル程離れた電話ボックスから電話しているお客のすがたが見えた。(略)>>
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(写真)横山隆一旧居跡(現在、スタバ御成町店)。右手は鎌倉市役所。

同じく「鎌倉通信」から(エッセイタイトル「大佛日記」)。
<<最近発行された、大佛(おさらぎ)次郎さんの「敗戦日記」を読んだ。昭和十九年九月から二十年十月までの記録だが、文中三十カ所に私が登場するのでびっくりした。私は二十年の六月から九月末まで疎開していたから、もし鎌倉に居たらもっと登場していただろう。私はこれまで、大佛さんにご馳走になってばかりいるのでいっぺん盛大におごってあげたいなといつも思っていたが、この文を読むと、私も私なりに大佛さんに何かしていたので、ほっとした。十九年の九月十七日に、「フクちゃんが栗を沢山くれる」と書いてある。( 略)>>

鎌倉若宮大路の東側路地奥に自宅を構えた作家大佛次郎とは親交があり、互いの家(横山は戦前は大町在住)を頻繁に行き来、大佛の日記にたびたび登場する間柄であった。
<<昭和十九年九月十七日附け *フクちゃん=横山隆一
晴れたと思うと降る。海潮の音高く風かなりあり。のびのびになりしやぶさめ今日の午後と、吉野さんが胡瓜を二本持って来てくれての話。フクちゃんが栗を沢山くれる。
門田君の催促で浦島十一枚を書く。二楽荘よりとどけ来たりしブーフ半分をあげる。(略)>>
<<昭和十九年九月十九日 晴
少国民の友の原稿を書上げたら、横浜へドンキホーテを貫いに行こうと思っていたが牛すぎ警戒警報が出る。二時に解除となったがその為原稿おくれる。又兵衛出陣、十五枚取りに来た松井と云う記者に渡す。灯火管制の訓練。田代中佐の壮行の為酉子に肴をつくらせフクちゃんの家へ行きビールの御馳走になり画集を見せて貰って待つ。>> *フクちゃんは栗以外にビールだってご馳走している。
<<昭和十九年十月九日 月 
林さん(*著名写真家、太宰治らを撮影)が来て写真を取ってくれる。板倉君が白鹿と沢之鶴を二本集めて来てくれ日本造船より別に二本とどく。出井から一本、フクちゃんから一本、賑やかなり。畑のおばさんからお赤飯二升。>> *フクちゃんは栗以外に物資不足の中、酒だって贈っている。
<<昭和十九年十二月十九日
昼の内に少年を仕上げ十八枚送る。フクちゃんが煙草の特配の件で来る。ミンドロ島の敵、既に飛行場を作り上げしと。ニュウスによると独逸(*同盟国ドイツ)が新しぺ攻勢に出ている。
○小林秀雄が上海から持って来たBlack and White日本金で四万円すると。里見ク、「つまり小林と僕で二万ずつ飲んだわけになるがね。」と笑う>>
<<昭和二十年正月二日 *フクちゃん=隆ちゃん  
 朝日出版局より乞食大将の件で小林秀二郎と云う入来る。新聞二回書き送る。名越篠崎のところへ見舞に行き、胃の薬置き、隆ちゃんの家へ顔を出す。帰途吉野宅へ寄ると橋本小池酔いている。>>
<<昭和二十年二月十四日
新女宛神山君が連載小説の件で来たり。横山隆一玉川一郎が日没近く加わる、これと東宝桂青年を加え二楽荘へ行きビールを飲み談ず。玉川君の話がいろいろと可笑しい。神崎武雄が乗っていた乙巡は沈んだらしいという。気の毒である。>>
<<昭和二十年三月八日
○フクチャンのお母さんの家は洗面所に水道を出し放しで受けてあった盥(たらい)に焼夷弾が屋根を貫き落ちた。その為発火しなかったが吃驚して急に疎開と決定。フクちゃんの家らしい話である。>>
<<昭和二十年四月二十七日 晴。
十一時近い汽車でフクちゃんと東京へ行く。上野の精養軒で週刊少国民が募集した敵機のあだ名の撰をするのである。(略)>>
<<昭和二十年 五月五日
船橋小川女来たる。午後、茶室のたたみ上げ床下をほる。横山隆一君が亀田さんとこの初節句に画を描いてとどけてくれる。きょうは照国が戦勝祈願の土俵入りを八幡社頭でやるとかで賑っているらしい。子供たちの鼓笛隊も通る。>>
<<昭和二十年八月六日  
横山隆一君の妻君疎開先信州で二日急逝、子女四人あり。くやみを出す。気の毒である。
〔関東軍の精鋭は本土作戦にそなえ機械化部隊など栃木県に来ている。〕>> 等々。

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(写真)横山隆一が1959年(昭和34年)に庭に造ったプール。
プール秘話。横山が戦時中に文芸春秋社代理部で購入したスポーツサイクル(自転車)をプール造成工事の際、鉄筋の代りにとコンクリート積めにして底部分に埋めてしまった。いつかこのプールが解体される日がきたならば、横山が鎌倉じゅうを走り回ったこの遺物を回収し、高知市の「横山隆一記念まんが館」に寄贈しなければならない。
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(写真)横山隆一が自宅から眺めただろう景色。現在のスタバのデッキフロアから。
以上3枚はアナログ携帯カメラで2009年9月に撮影。まだスタバ内にチャヤの売店があった頃。

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(写真)1936年(昭和11年)10月1日、東京朝日新聞朝刊に連載開始された「養子のフクちゃん」第1回。

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(写真)没直後の2002年4月7日に開館した高知市九反田の「横山隆一記念まんが館」が入るビルの夕景。すでに閉館時間が迫り入館を諦めた。
横山隆一記念まんが館http://www.kfca.jp/mangakan/
  最寄り駅 市電菜園場町駅(土佐電鉄)
横山隆一は、記念まんが館を見ることなく2001年11月8日、脳梗塞のため鎌倉市内の湘南鎌倉総合病院で死去(享年92)。

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(見取り図)自宅東側に隣接する「おとぎプロ」は、横山隆一が1956年(昭和31年)に立ち上げたアニメーション制作会社。現在、横山隆一旧居跡(御成町15-11)には、スターバックス鎌倉御成町店(横山隆一没後4年目にオープン)の斬新な店舗が建ち営業中。 http://www.starbucks.co.jp/store/search/detail.php?id=624&mode=conceptindex.html

参考 「鎌倉通信」横山隆一1995年高知新聞社刊
posted by y.s at 21:47| Comment(0) | 鎌倉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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