2013年01月06日

京都 新島八重の終焉地(新島襄旧邸)

八重の二度目の夫で同志社英学校創設者・新島襄(にいじま じょう)は、1890年(明治23年)1月23日に神奈川県大磯の旅館「百足屋」で逝去。享年46歳。子供無し。八重は昭和初頭まで長生きし、1932年(昭和7年)6月14日に86歳で亡くなる。丸太町通から御所東側に沿って寺町通を100m少々上ったその逝去の地は現在、新島襄旧邸として同志社の管理のもと一般公開されている。まもなく2013年度のNHK大河ドラマ「八重の桜」の第1回の放送が始まるが、早速こちらは最終回(!?)で終焉の地です。
会津藩・砲術師範の父・山本権八(戦国時代の雄・甲斐の武田信玄の家臣・山本勘助が祖といわれる)・・八重の長兄・山本覚馬。実は新島襄や八重にはそれほど興味はなく、兄の山本覚馬に非常に興味を持っているのです。維新後、薩摩藩邸の敷地(現在の同志社大学今出川本部キャンパス)を山本覚馬がなぜ取得できたのか・・それ以上に会津藩士が鳥羽・伏見から大阪にかけて累々と屍を野天にさらす中、山本覚馬が何故に生命を保てたのか? そのあたりは大河ドラマ「八重の桜」で描かれるのだろうか。 
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「新島襄旧邸」の入口脇の有形文化財の看板と石柱 出入り口は寺町通に面した西側です
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新島襄邸です 周囲を同志社の建物・新島会館が取り巻いています 建物の説明や公開日時は下の説明板の写真で
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この「新島襄旧邸」から東へ徒歩数分の場所に八重に関連のある「女紅場」(後の府立第一高女)跡地があり、丸太町橋南詰に石碑が建ってます。京阪利用で訪れるとルート上にあります。他にも維新に関係したスポット(三本木遊郭)が多く点在してます。
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新島襄・新島八重・山本覚馬の墓所の案内図は同志社大学のHPにあるのでリンク貼ります。
左京区鹿ケ谷若王子山町の市営若王子墓地内同志社墓地・配置図http://www.doshisha.ac.jp/information/history/neesima/graveyard.html
八重の墓写真http://www.doshisha.ac.jp/yae/news/2012/0810/news-detail-13.html 
同志社墓地以外の新島襄・八重夫妻の情報も閲覧可能です。

「大磯 新島襄終焉の地(旅館百足屋跡)」http://zassha.seesaa.net/article/161156782.html
「京都 高等女学校之濫觴・女紅場址の碑」http://zassha.seesaa.net/article/317226870.html
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posted by t.z at 19:52| Comment(0) | 京都kyoto | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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