2013年01月13日

上野 阿部定の足跡 星菊水

荒川区尾久町四の一八八一待合「まさき」(正木しち方)の2階「さくらの間」にて1936年5月18日午前2時頃吉田屋主人・石田吉蔵を殺害(窒息死)、死後もなお独占(夫人らから)する為に牛刀を以って吉蔵の陰莖及び陰嚢を切取り、右上膊部外側に自らの名「定」の文字を刻み込む。さらに傷口の血を指につけ吉蔵の左大腿部に「定吉二人」、白敷布にも「定吉二人キリ」の血文字を書き残した上で、切取った陰莖及び陰嚢を持って午前8時頃に逃走。5月20日になり品川駅近辺(品川館)で逮捕。1936年11月24日より公判が開始され判決は懲役6年。主な服役先は栃木刑務所。1941年の皇紀紀元2600年の恩赦で出所。戦後もこの特異な事件は忘れ去られることなく「阿部定」の名は人々の記憶に刻み込まれたままに。
戦後、阿部定は各地を転々とする中で好奇な眼にさらされ続けますが・・・昭和29年(28年?)になり、現在の上野・稲荷町の近くの割烹「星菊水」(閉店)で初めて永続する(約10年間)仕事に就くことが出来たのです。
入谷(旧坂本町2丁目)から定が通い続けた「星菊水」・・・勤め先・住居の場所は一般にはほとんど知られていません(ネット検索しても不明)。昭和34年8月19日に、定は「星菊水」での精勤が認められ東京料飲組合から優良従業員として表彰されてます。「週刊現代」の該当号(昭和34年9月13日号)には表彰を受ける阿部定、そして住居(長屋2階)での本人の写真までも掲載されているのです。
当時の話を聞こうにも長屋のあった付近はほとんど高層ビル・MSに建て替えられており、地域に詳しい方も入院中(加藤炭店の方)だったり・・・坂本町2丁目の住居の特定は難しいですが約30m四方の圏内までは絞れてますので別項としてアップします。
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(左)写真中央の茶色の建物が割烹「星菊水」跡 (右)は大通り=浅草通りから路地奥方向
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路地に入る角・・阿部定はほぼタクシー通勤だったのでここで降りていたはず(推定)
「星菊水」での勤務を続ける中で阿部定に独立のチャンスがめぐってきます。上野の国際通りにバー「クィーン」を開店・・半年後には台東区竜泉でおにぎり屋「若竹」を開業。すでに阿部定は60歳を過ぎた年齢に達しています。

「上野 阿部定の足跡 坂本町の長屋跡」http://zassha.seesaa.net/article/312996652.html
       「星菊水」に勤めていた当時の阿部定の住居篇です。
「兵庫・篠山市 阿部定の足跡 京口新地」http://zassha.seesaa.net/article/313095541.html
「名古屋 阿部定の足跡 中村遊郭」http://zassha.seesaa.net/article/313453094.html
「神田 阿部定の足跡 出生地と小学校」http://zassha.seesaa.net/article/313356355.html

参考資料
 裁判予審調書
「阿部定正伝」1998年刊・情報センター出版局
 映画「愛のコリーダ」大島渚監督(定役=松田英子)1976年10月公開
「坂口安吾全集5」1998年刊・筑摩書房(「阿部定さんの印象」)
「織田作之助全集5」1970年刊・講談社(P249からの「妖婦」)
 その他
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posted by t.z at 01:23| Comment(0) | 東京東南部tokyo-southeast | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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