2013年01月13日

上野 阿部定の足跡 坂本町の長屋跡

「上野 阿部定の足跡 星菊水」 http://zassha.seesaa.net/article/312979470.html
上記アップ分の勤務先「星菊水」と対をなす住居篇です。

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右の白っぽいビルの位置に3棟の戦後に建てられた木造長屋が奥に向かって軒を連ねていました・・おそらく最も奥側の長屋に住んでいたものと推定(下の地図参照) 幅広の言問通り側は建物が連なり通路はなく塞がれており、出入り出来るのはこの細路地側のみ (右)中央のビルの真下が阿部定の住んだ長屋だった(昭和29年頃〜約10年間)
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左のビルのガレージ部分が布袋湯の位置 奥が北方向でやや左奥に小野照崎神社 (右)写真が神社正面鳥居下・・出勤前にここで社殿に向かって手を合わせていました
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阿部定が午後3時頃に連日通っていた銭湯・布袋湯(ホテイユ)は北隣りの旅館とともに解体され、現在はビル(MS)に建て替ってます。 布袋湯の真向かいの阿部定の長屋に注文を取りに来ていたクリーニング店もビルにとってかわられてます(推定)。阿部定は都内最古の3階建てアパート「鶯谷アパート」の前の道路を銭湯に通うために往復していたと思われます。玄関には美しいタイル模様が現在も残っています・・・阿部定も飽きるくらい見ていたはずです。(「阿部定正伝」でインタビューを受けた内の一人の方がこのアパート住まい)
銭湯からひとまず長屋に引き上げて、身支度を整えてから夕刻になると「星菊水」に出勤するために自宅を後にしますが、直接向かうことはなく北方向にある小野照崎神社の鳥居前で手を合わせてから、その場でタクシーを拾う・・・これが10年近く続いた日課とのことです。尚、帰宅時間は22時前後だったとのこと。「星菊水」を辞めて暫くして「若竹」を開店するまで、この坂本町の長屋住まいが続きます。

「兵庫・篠山市 阿部定の足跡 京口新地」http://zassha.seesaa.net/article/313095541.html
「上野 阿部定の足跡 星菊水」http://zassha.seesaa.net/article/312979470.html
「名古屋 阿部定の足跡 中村遊郭」http://zassha.seesaa.net/article/313453094.html
「神田 阿部定の足跡 出生地と小学校」http://zassha.seesaa.net/article/313356355.html
「日本橋浜町 阿部定の足跡 浜町公園」http://zassha.seesaa.net/article/316491763.html
「大津 阿部定の足跡 地蔵寺」http://zassha.seesaa.net/article/316571479.html

参考資料
 裁判予審調書
*主なる資料=「阿部定正伝」1998年刊・情報センター出版局
 映画「愛のコリーダ」大島渚監督(定役=松田英子)1976年10月公開
「坂口安吾全集5」1998年刊・筑摩書房(「阿部定さんの印象」)
「織田作之助全集5」1970年刊・講談社(P249からの「妖婦」)
 その他
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posted by y.s at 04:13| Comment(5) | 東京東南部tokyo-southeast | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
リクエストなんですが。彼女は昭和18年から2年ほど、下谷眞島町(谷中のこと?)で、日光荘というアパートに内縁の夫と住んでいらしいです。そちらが分かったら紹介して下さい。谷中はよく散歩します。多分、澤野屋旅館の近く?
Posted by 定マニア at 2013年02月01日 21:17
コメ有難うございます。
下谷区の真島町ですが阿部定手記での告白通り3月10日の大空襲(定は4月と勘違い)で日光荘は消失し、国公認の偽名「吉井昌子」を通しながらも実質的夫婦でいた二人は2年ほど住み慣れたこのアパートを焼け出されてます。
住居表示も不明であり、細路地の入り組んだこの町は約80%が焼夷弾で焼け、東隣の谷中坂町の一部まで灰燼に帰しております。周囲はほとんど空襲を免れており、現在まで残っている建物もあります。・・・実は未だに調査はしていませんが、火保図で見つけられるかも(この地域分があればですが)。戦前の渋谷は火保図がわずかしか残っていないため定らが流連した円山町の待合の特定が困難でストップしたままです。地番が判明してますがその建物位置まで辿りつきたい為に。現在、関西方面にかかりっきりで・・・火保図は麻布の中央図書館1階で閲覧(地図書架)できます・・が、後回しになってます。
ここでまとめますが、大正楼は雨風で傷んだ箇所に手を入れてる程度で・・中庭側とは裏にあたる北側のことでしょうか。正面の玄関側は昔のままで・・定さんが「なんだよ、お兄さん」と言いながら出てきそうです。はす向いの公民館は解体され新築の個人宅が完成してるようです。篠山城がかなり良い風情で、特に南側の堀を含めた一帯(馬出し)が訪れる価値大です。

大島氏の告別式は所用もあり行かず仕舞いでした。好きな作品2本と云われれば「春歌考」と「新宿泥棒日記」かな。

阿部定に関しては、中村遊郭もそうですが飛田・松島とも資料がなく(大阪中央図書館では個人的な時間制約で短時間しかおれず)・・新地組合で聞いても昭和初期では・・・という状態です。お詳しいようなので逆に教示していただければと思います。


Posted by 管理人 at 2013年02月02日 09:52
私は、物書き?の仕事をしてなくて、パートの仕事の傍ら散歩をしているので、遠方へ足を運ぶ交通費が確保しにくいので、他の方のサイトを見たり、行けそうな場所なら行ったりという感じです。大正楼は無事でしたか。取り壊されたのは、特徴的な塀がある公民館?の方かな。はたまた、江戸川乱歩調の洋館でしょうか。とにかく安心。渋谷区円山町の待合「みつわ」については、「東京紅団」というサイトの阿部定事件を歩くに紹介されています。地図はありませんが、最寄り駅は記載されています。飛田遊廓については、「のぶろぐ」というブログの、2012.1.29 消えた遊廓赤線跡を歩く 飛田と山王番外編に御園楼の写真と跡地が紹介されています。下谷眞島町?の日光荘については、阿部定正伝にも上野の社にあったしか書いておりません。が、電柱や町内会の掲示板には眞島町と今でも記載されているので、谷中だと思うのですが。そうそう、かつて料理屋「吉田屋」があった場所やおにぎり屋「若竹」があった場所も散歩にはいいですよ。
Posted by 定マニア at 2013年02月03日 11:00
定マニアさん 有難うございます
若竹も行かれてますか。外周りを修理してきれいになってますね。昭和通りを渡った所の阿部定が若竹から通っていた銭湯がまだ残ってますね。吉田屋も含め20ヶ所ほど撮影済みなのでアップしてゆく予定です。「正伝」は実名と仮名が混在してるので要注意です。
当ブログは趣味の写真撮影が優先で、アップはあくまでオマケの二の次。阿部定の20ヶ所もいつになるのか期待は禁物です。
Posted by 管理人 at 2013年02月03日 13:01
追記です。
大阪の松島遊廓については、同じく「のぶろぐ」の2011・2.4と2.9 消えた遊廓赤線跡を歩く 松島編1と2で紹介されています。
Posted by 定マニア at 2013年02月03日 13:54
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