上記アップ分の勤務先「星菊水」と対をなす住居篇です。
阿部定が午後3時頃に連日通っていた銭湯・布袋湯(ホテイユ)は北隣りの旅館とともに解体され、現在はビル(MS)に建て替ってます。 布袋湯の真向かいの阿部定の長屋に注文を取りに来ていたクリーニング店もビルにとってかわられてます(推定)。阿部定は都内最古の3階建てアパート「鶯谷アパート」の前の道路を銭湯に通うために往復していたと思われます。玄関には美しいタイル模様が現在も残っています・・・阿部定も飽きるくらい見ていたはずです。(「阿部定正伝」でインタビューを受けた内の一人の方がこのアパート住まい)
銭湯からひとまず長屋に引き上げて、身支度を整えてから夕刻になると「星菊水」に出勤するために自宅を後にしますが、直接向かうことはなく北方向にある小野照崎神社の鳥居前で手を合わせてから、その場でタクシーを拾う・・・これが10年近く続いた日課とのことです。尚、帰宅時間は22時前後だったとのこと。「星菊水」を辞めて暫くして「若竹」を開店するまで、この坂本町の長屋住まいが続きます。
「兵庫・篠山市 阿部定の足跡 京口新地」http://zassha.seesaa.net/article/313095541.html
「上野 阿部定の足跡 星菊水」http://zassha.seesaa.net/article/312979470.html
「名古屋 阿部定の足跡 中村遊郭」http://zassha.seesaa.net/article/313453094.html
「神田 阿部定の足跡 出生地と小学校」http://zassha.seesaa.net/article/313356355.html
「日本橋浜町 阿部定の足跡 浜町公園」http://zassha.seesaa.net/article/316491763.html
「大津 阿部定の足跡 地蔵寺」http://zassha.seesaa.net/article/316571479.html
参考資料
裁判予審調書
*主なる資料=「阿部定正伝」1998年刊・情報センター出版局
映画「愛のコリーダ」大島渚監督(定役=松田英子)1976年10月公開
「坂口安吾全集5」1998年刊・筑摩書房(「阿部定さんの印象」)
「織田作之助全集5」1970年刊・講談社(P249からの「妖婦」)
その他
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下谷区の真島町ですが阿部定手記での告白通り3月10日の大空襲(定は4月と勘違い)で日光荘は消失し、国公認の偽名「吉井昌子」を通しながらも実質的夫婦でいた二人は2年ほど住み慣れたこのアパートを焼け出されてます。
住居表示も不明であり、細路地の入り組んだこの町は約80%が焼夷弾で焼け、東隣の谷中坂町の一部まで灰燼に帰しております。周囲はほとんど空襲を免れており、現在まで残っている建物もあります。・・・実は未だに調査はしていませんが、火保図で見つけられるかも(この地域分があればですが)。戦前の渋谷は火保図がわずかしか残っていないため定らが流連した円山町の待合の特定が困難でストップしたままです。地番が判明してますがその建物位置まで辿りつきたい為に。現在、関西方面にかかりっきりで・・・火保図は麻布の中央図書館1階で閲覧(地図書架)できます・・が、後回しになってます。
ここでまとめますが、大正楼は雨風で傷んだ箇所に手を入れてる程度で・・中庭側とは裏にあたる北側のことでしょうか。正面の玄関側は昔のままで・・定さんが「なんだよ、お兄さん」と言いながら出てきそうです。はす向いの公民館は解体され新築の個人宅が完成してるようです。篠山城がかなり良い風情で、特に南側の堀を含めた一帯(馬出し)が訪れる価値大です。
大島氏の告別式は所用もあり行かず仕舞いでした。好きな作品2本と云われれば「春歌考」と「新宿泥棒日記」かな。
阿部定に関しては、中村遊郭もそうですが飛田・松島とも資料がなく(大阪中央図書館では個人的な時間制約で短時間しかおれず)・・新地組合で聞いても昭和初期では・・・という状態です。お詳しいようなので逆に教示していただければと思います。
若竹も行かれてますか。外周りを修理してきれいになってますね。昭和通りを渡った所の阿部定が若竹から通っていた銭湯がまだ残ってますね。吉田屋も含め20ヶ所ほど撮影済みなのでアップしてゆく予定です。「正伝」は実名と仮名が混在してるので要注意です。
当ブログは趣味の写真撮影が優先で、アップはあくまでオマケの二の次。阿部定の20ヶ所もいつになるのか期待は禁物です。
大阪の松島遊廓については、同じく「のぶろぐ」の2011・2.4と2.9 消えた遊廓赤線跡を歩く 松島編1と2で紹介されています。