2013年01月13日

丹波篠山 阿部定の足跡 京口新地

阿部定が17才の時、両親は神田新銀町19番地の家を売り払い、埼玉県坂戸町に移り住む。まもなく定の周辺には近所の男との情交の噂が流れ始める。父親の怒りは収まらず、母親らの反対を押し切り、定は横浜に娼妓として売り払われる。だが年齢不足のため当面は芸妓としての扱いとなる。大正11年7月のことであった。芸妓を手始めとしたが、18才を迎えるとすぐさま娼妓に身をやつし客を取り始めている。各地の妓楼を流転する日々がここから始ったのだ。横浜から富山へ、東京に一度は戻るが、次は信州飯田町の妓楼へ移り住む。その後は大阪に新設されて間もない飛田遊郭に住み込み、名古屋の中村遊郭、再び大阪の松島遊郭に移った。阿部定が娼妓として最後の生活を送った地が、山々に囲まれた丹波篠山(ささやま)だったのだ。
1932年(昭和7年)、すでに東京を離れて10年が過ぎ去り、阿部定は27才も終わろうとする年齢になっていた。阿部定の名が全国に喧伝されたあの猟奇事件まで、あと3年と数ヶ月・・・。
*阿部定の出生地は上記のように東京市神田区新銀町19番地で、出身小学校は実家(畳屋「相模屋」)のすぐ西側にあった神田尋常小学校(現在の千代田小学校)。阿部定は15才の時に、この町(神田多町)で始めて男を経験した。これが契機となり奔放な男遊びを繰り返すうちに、17才で父親の怒り買い売り飛ばされることになったのだ。
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篠山・京口新地の南方向に位置する御刃代神社前の細道から。現在も田畑に囲まれている。現在の表記は兵庫県多紀郡篠山町。
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(左写真)阿部定が在籍していた大正楼。現存している。建物の痛みは顕著だが、所々修理の形跡が見える。(右写真)南に向いた玄関口。大正楼の地番は379-26。現在の住宅地図を調べると所有者名は無記載になっている。
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(左写真)正面玄関に向って左の壁面に瓢箪形の明り取りがある。(右写真)向って右の東側の壁面(奥に風呂場がある)
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(左右写真)上の右奥角の風呂場 ガラス窓は割れたままで内部が見える。アルミサッシ製ドアが確認できる。近年の改修のようだ。

京口新地(遊郭)時代の建造物・遺構はほぼ失われている。新地時代の意匠が残る建物は、大部分が個人の住居として使用されているため位置情報は削除する。27才の阿部定は、この妓楼で最初は「おかる」、その後は「育代」の源氏名を使っていた。近くに駐屯地を設けていた陸軍歩兵第170聯隊の兵隊が主な客であったという。阿部定はこの妓楼で数多くの兵隊の相手を勤めていたのだ。
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(左写真)京口新地南側の新地端の用水路 (右写真)かって妓楼として使用されていたと思われる建物
阿部定は、取調べのなかで大正楼では玉ノ井の淫売以下の扱いを受けていたと述べている。27才の阿部定は、極寒の季節にこの妓楼から逃亡した。未明の足元も覚束ない道を3キロ以上離れた駅を目指し歩いたのだ。追手の姿に恐怖し、寒さに震えながら始発の列車に乗り込んだのだ。逃げた先は神戸だった。
*参考にした「阿部定正伝」(1998年刊)P76の「陸軍歩兵第70連隊」の記述は、陸軍第104師団隷下の「歩兵第170聯隊」の誤記だと思われる。
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参考
 裁判予審調書
「阿部定正伝」情報センター出版局1998年刊 
 映画「愛のコリーダ」大島渚監督(定役=松田英子)1976年10月公開
「坂口安吾全集5」(「阿部定さんの印象」)筑摩書房1998年刊
「織田作之助全集5」(「妖婦」)講談社1970年刊

「上野 阿部定の足跡 坂本町の長屋跡」http://zassha.seesaa.net/article/312996652.html
「名古屋 阿部定の足跡 中村遊郭」http://zassha.seesaa.net/article/313453094.html
「神田 阿部定の足跡 出生地と小学校」http://zassha.seesaa.net/article/313356355.html
「上野 阿部定の足跡 星菊水」http://zassha.seesaa.net/article/312979470.html
「日本橋浜町 阿部定の足跡 浜町公園」http://zassha.seesaa.net/article/316491763.html
「大津 阿部定の足跡 地蔵寺」http://zassha.seesaa.net/article/316571479.html
「浅草 阿部定の足跡 百万弗劇場」http://zassha.seesaa.net/article/319694968.html
「渋谷 円山町 阿部定の足跡 待合みつわ跡」http://zassha.seesaa.net/article/328923946.html
「宇治 阿部定の足跡 菊屋旅館跡」http://zassha.seesaa.net/article/381905711.html
「大阪 阿部定の足跡 飛田遊郭・御園楼」http://zassha.seesaa.net/article/385605810.html 
posted by t.z at 16:42| Comment(2) | 各地various parts of japan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
阿部定マニアの私にとっては、この建物は絶対に見に行きたい!が、他の人のブログには、一部取り壊されたという書き込みが。それは、大正楼の半分側(中庭に繋がっている部分?)なんでしょうか。玄関ガラスの家紋は、なんと我が家と同じです。所有者は桜井さんという名字かな?
Posted by 定マニア at 2013年02月01日 20:43
今日散策しましたが、「大正楼」はまるごと現存してますよ。お早い目に。
Posted by at 2013年02月02日 18:04
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