1932年(昭和7年)、すでに東京を離れて10年が過ぎ去り、阿部定は27才も終わろうとする年齢になっていた。阿部定の名が全国に喧伝されたあの猟奇事件まで、あと3年と数ヶ月・・・。
*阿部定の出生地は上記のように東京市神田区新銀町19番地で、出身小学校は実家(畳屋「相模屋」)のすぐ西側にあった神田尋常小学校(現在の千代田小学校)。阿部定は15才の時に、この町(神田多町)で始めて男を経験した。これが契機となり奔放な男遊びを繰り返すうちに、17才で父親の怒り買い売り飛ばされることになったのだ。
京口新地(遊郭)時代の建造物・遺構はほぼ失われている。新地時代の意匠が残る建物は、大部分が個人の住居として使用されているため位置情報は削除する。27才の阿部定は、この妓楼で最初は「おかる」、その後は「育代」の源氏名を使っていた。近くに駐屯地を設けていた陸軍歩兵第170聯隊の兵隊が主な客であったという。阿部定はこの妓楼で数多くの兵隊の相手を勤めていたのだ。
阿部定は、取調べのなかで大正楼では玉ノ井の淫売以下の扱いを受けていたと述べている。27才の阿部定は、極寒の季節にこの妓楼から逃亡した。未明の足元も覚束ない道を3キロ以上離れた駅を目指し歩いたのだ。追手の姿に恐怖し、寒さに震えながら始発の列車に乗り込んだのだ。逃げた先は神戸だった。
*参考にした「阿部定正伝」(1998年刊)P76の「陸軍歩兵第70連隊」の記述は、陸軍第104師団隷下の「歩兵第170聯隊」の誤記だと思われる。
参考
裁判予審調書
「阿部定正伝」情報センター出版局1998年刊
映画「愛のコリーダ」大島渚監督(定役=松田英子)1976年10月公開
「坂口安吾全集5」(「阿部定さんの印象」)筑摩書房1998年刊
「織田作之助全集5」(「妖婦」)講談社1970年刊
「上野 阿部定の足跡 坂本町の長屋跡」http://zassha.seesaa.net/article/312996652.html
「名古屋 阿部定の足跡 中村遊郭」http://zassha.seesaa.net/article/313453094.html
「神田 阿部定の足跡 出生地と小学校」http://zassha.seesaa.net/article/313356355.html
「上野 阿部定の足跡 星菊水」http://zassha.seesaa.net/article/312979470.html
「日本橋浜町 阿部定の足跡 浜町公園」http://zassha.seesaa.net/article/316491763.html
「大津 阿部定の足跡 地蔵寺」http://zassha.seesaa.net/article/316571479.html
「浅草 阿部定の足跡 百万弗劇場」http://zassha.seesaa.net/article/319694968.html
「渋谷 円山町 阿部定の足跡 待合みつわ跡」http://zassha.seesaa.net/article/328923946.html
「宇治 阿部定の足跡 菊屋旅館跡」http://zassha.seesaa.net/article/381905711.html
「大阪 阿部定の足跡 飛田遊郭・御園楼」http://zassha.seesaa.net/article/385605810.html
【関連する記事】
- 甲府 武田信玄火葬塚 「甲陽軍鑑」より
- 青森大湊町 恐山 寺山修司「田園に死す」より
- 御殿場 富士霊園 作家高橋和巳と高橋たか子の墓標
- 姫路 おきく井戸 小泉八雲「日本瞥見記」より
- 滋賀長浜 長濱八幡宮の新旧写真
- 長崎・鍛冶屋町 レストラン銀嶺 「荒木陽子全愛情集」より
- 静岡 旧制静岡高校 吉行淳之介「焔の中」より
- 姫路 白鷺城(姫路城)天守 泉鏡花「天守物語」より
- 穂高連峰 上高地 芥川龍之介「河童」より
- 能登 御陣乘太鼓 安西水丸「ちいさな城下町」より
- 山梨御坂峠 御坂隧道と天下茶屋 太宰治「富嶽百景」より(再作成)
- 静岡 アナーキスト大杉栄の墓 瀬戸内寂聴「奇縁まんだら終り」より
- 姫路 お菊神社 志賀直哉「暗夜行路」より
- 滋賀 安土セミナリヨ跡 井伏鱒二「安土セミナリオ」より
- 山梨 甲府城址の目ざわりな石塔 井伏鱒二「甲府−オドレの木の伝説」より
- 静岡 駿府城 遠藤周作「ユリアとよぶ女」より
- 長崎・平戸周辺 遠藤周作「沈黙」より
- 名古屋・栄 白川尋常小学校跡 江戸川乱歩 「私の履歴書」より
- 倉敷 蔦のからまる喫茶店 エル・グレコ (EL GRECO)
- 丹波篠山 篠山城 水上勉「負籠の細道」から