2013年01月14日

高知・室戸岬 中岡慎太郎像

管理人のアルバムに眠っている古写真の公開です。
「秘蔵ネガフィルム発見!ついに近日公開!」とか言ってもったいぶりたいのですが・・・それほどの価値は無くただ古いだけの写真。過去の街並みなどの変遷がわかる古写真等もあるので関連する機会があればアップする予定です。今回は「なんのために・・いつ」撮ったかも失念している室戸岬のモノクロ写真。

幕末の京都で坂本龍馬と会合中に急襲され殺害された土佐・陸援隊を組織し隊長にも就いていた中岡慎太郎(変名・石川誠之介 行年30歳)。高知県室戸岬の突端に昭和10年4月7日にその栄誉を留め置くための像の除幕式が行われ、現在でもその中岡慎太郎像は太平洋に向いて屹立しています。
中岡慎太郎に関する知識は上っ面だけで、昨年11月に高知を訪れた際も「中岡慎太郎館」はパス。京都・四条河原町を40mほど上ったあぶらとり紙屋の前にある「寓居の地」碑には通る度に必ず視線を向けるほど気にはなるのですが、すぐ近くの近江屋に(大声なら会話可能な距離)事件当日、この家から出かけたのかどうかも判らないでいる。陸援隊屯所が置かれていた白川土佐藩邸(百万遍の京大農学部敷地)から近江屋にやってきたのだろうか。幕末期の河原町通は現在の3分の1ほどの狭さで近江屋はほとんど道路の上。「寓居の地」碑を見る度に当時の通りの狭さを何故か意識してしまいます。
       muroto nakaoka01.jpg
室戸岬に立つ中岡慎太郎像 現在とは周囲の様子がかなり違ってます 磯釣りセンターの建物は無くなり駐車場に 写真のおばちゃんは今でもお元気にしてますでしょうか?
  muroto nakaoka02.jpg  muroto nakaoka03.jpg
像の台座には「贈正四位中岡慎太郎」と縦書きで記され、台座脇のプレートには安芸郡連合青年団と室戸岬町連合青年団の2団体が建立者として並記。慎太郎は脱藩後に長州に逃亡してます。 (右)写真は室戸岬の岩場に砕ける波・・磯釣りに行った記憶無いし・・・??

           muroto nakaoka04.jpg

  kyoto nakaoka01.JPG   kyoto nakaoka02.JPG
(左)四条河原町交差点近くの中岡慎太郎寓居の地碑 (右)白川土佐藩邸跡=京都大学農学部の駐車場脇にある石仏群

参考:ブログ「よさこい高知歴史木漏れ日」http://noburu.blog92.fc2.com/blog-entry-98.html 除幕式のあった月日が不明だったので参考にさせてもらいました。昭和10年とだけプレートには記述されています。
posted by t.z at 06:03| Comment(0) | 各地various parts of japan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。