昭和50年前後になると、その「噂」があちこちから聞こえ始めます。
滋賀県の琵琶湖のほとりでの死亡説。同じ滋賀県の尼寺での死亡説。名古屋市内の尼寺での死亡説。熱海の保養所で変名で暮らしている説。
根拠のない「噂」が流れるなかで、「週刊文春」昭和50年3月12日号にかなり確実な情報の記事が掲載。昭和48年11月下旬に滋賀県大津の尼寺「地蔵寺」に尼になりたい者がいてそちらに向かうので宜しくというハガキが舞い込み、翌月の12月中旬になると実際に「阿部定」と名乗る老女が現れたという内容。そして尼である住職へのインタビュー。当日は住職本人は留守でお茶の稽古に来ていた若い女性が応対したと延べ、その老女の写真等による確認は拒否しているのです。「週刊文春」の記事は要領を得ない形で終わっているのですが、参考にしている「阿部定正伝」の筆者は追加確認取材で平成9年に地蔵寺を訪れるのです。健在でいる当時の住職に再取材し、実は留守ではなく、(5人も抱えていて)受け入れられない為に直接応対に出なかったことと京都の寺からの紹介だったことを明かし、さらにその老女は2度と現れてはいないと断言するのです。「阿部定」と本人が名乗ったことが唯一の証しで、それ以上の確証は得られないまま現在に至っているのです。
1905年(明治38年)5月28日生まれの阿部定、2012年現在で107歳。地蔵寺の山側(東南側・道路沿い)にある墓地を「もしかしたら」とつい立ち入りたい気持ちになってしまいました。実は「阿部家之墓」と刻まれた墓石が!?奥中央のコンクリ壁の手前にあるのです(もちろん没年等未確認)。また人騒がせなことを・・失礼。
*今回の地蔵寺訪問は早朝というか未明で、主目的は明智光秀の謀反時の唐橋での戦闘の場所の撮影(幕末どころか戦国時代の合戦があった場所にも趣味拡散気味の管理人なのです・・興味ある人も少なく誰も撮影に付き合ってくれないのが現状(特に女性・・甘いものスポットには次は何処とか積極的なのに))。この日は琵琶湖南岸を廻る楽しい?企画の最初のスポット・・で、早朝なのです。阿部定らしき老女が訪れたのは午後・・時間も合わせてシャッターを押したかったのですが。
「上野 阿部定の足跡 坂本町の長屋跡」http://zassha.seesaa.net/article/312996652.html
「兵庫・篠山市 阿部定の足跡 京口新地」http://zassha.seesaa.net/article/313095541.html
「名古屋 阿部定の足跡 中村遊郭」http://zassha.seesaa.net/article/313453094.html
「神田 阿部定の足跡 出生地と小学校」http://zassha.seesaa.net/article/313356355.html
「上野 阿部定の足跡 星菊水」http://zassha.seesaa.net/article/312979470.html
「日本橋浜町 阿部定の足跡 浜町公園」http://zassha.seesaa.net/article/316491763.html
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30年ほど前(1980年頃)が調べる限界ですね。直接関係のあった人の証言なしには闇のなかをさまようばかり。関連した様々は施設等もほぼ失われてしまった現在となっては、その跡地を探すことが目的化してしまうのでかなりむなしいです。身延山での消息を基にする一般的な定説がもっとも適切だと考えられます。以前「正伝」に記載のある麻布十番の吉蔵の無縁塔を探しにいきましたが墓地内に見つからず、それ以降はパワーも急降下、アップすること自体辞めようと思ってましたが、最近になり関西方面に行く機会が多く撮り足した分から再びアップしている次第なのです。