2013年01月27日

大津 阿部定の足跡 地蔵寺

阿部定が千葉県市原市の「勝山ホテル」(従業員勤務)から姿を消して以来、その消息は全く掴めない状態になります。行方不明なのです。
昭和50年前後になると、その「噂」があちこちから聞こえ始めます。
滋賀県の琵琶湖のほとりでの死亡説。同じ滋賀県の尼寺での死亡説。名古屋市内の尼寺での死亡説。熱海の保養所で変名で暮らしている説。
根拠のない「噂」が流れるなかで、「週刊文春」昭和50年3月12日号にかなり確実な情報の記事が掲載。昭和48年11月下旬に滋賀県大津の尼寺「地蔵寺」に尼になりたい者がいてそちらに向かうので宜しくというハガキが舞い込み、翌月の12月中旬になると実際に「阿部定」と名乗る老女が現れたという内容。そして尼である住職へのインタビュー。当日は住職本人は留守でお茶の稽古に来ていた若い女性が応対したと延べ、その老女の写真等による確認は拒否しているのです。「週刊文春」の記事は要領を得ない形で終わっているのですが、参考にしている「阿部定正伝」の筆者は追加確認取材で平成9年に地蔵寺を訪れるのです。健在でいる当時の住職に再取材し、実は留守ではなく、(5人も抱えていて)受け入れられない為に直接応対に出なかったことと京都の寺からの紹介だったことを明かし、さらにその老女は2度と現れてはいないと断言するのです。「阿部定」と本人が名乗ったことが唯一の証しで、それ以上の確証は得られないまま現在に至っているのです。
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地蔵寺の近くを流れる早朝の瀬田川 右後方の山の麓に有名な石山寺 紫式部が「源氏物語」の着想を得た地との伝承があります (右写真)石山寺駅に向かう京阪・石山坂本線のローカルな電車
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奥正面が阿部定が訪れたと推測される地蔵寺 最寄駅の唐橋前駅方向から撮影・・阿部定もこの方向から来たものと想定できます(右写真)左写真の反対側からの地蔵寺(画面切れの左に墓地)
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地蔵寺の玄関 阿部定はこの扉戸を明けた所まで尼になる希望を抱いて・・・・以後全くその消息は途絶えてしまいます

1905年(明治38年)5月28日生まれの阿部定、2012年現在で107歳。地蔵寺の山側(東南側・道路沿い)にある墓地を「もしかしたら」とつい立ち入りたい気持ちになってしまいました。実は「阿部家之墓」と刻まれた墓石が!?奥中央のコンクリ壁の手前にあるのです(もちろん没年等未確認)。また人騒がせなことを・・失礼。

*今回の地蔵寺訪問は早朝というか未明で、主目的は明智光秀の謀反時の唐橋での戦闘の場所の撮影(幕末どころか戦国時代の合戦があった場所にも趣味拡散気味の管理人なのです・・興味ある人も少なく誰も撮影に付き合ってくれないのが現状(特に女性・・甘いものスポットには次は何処とか積極的なのに))。この日は琵琶湖南岸を廻る楽しい?企画の最初のスポット・・で、早朝なのです。阿部定らしき老女が訪れたのは午後・・時間も合わせてシャッターを押したかったのですが。

「上野 阿部定の足跡 坂本町の長屋跡」http://zassha.seesaa.net/article/312996652.html
「兵庫・篠山市 阿部定の足跡 京口新地」http://zassha.seesaa.net/article/313095541.html
「名古屋 阿部定の足跡 中村遊郭」http://zassha.seesaa.net/article/313453094.html
「神田 阿部定の足跡 出生地と小学校」http://zassha.seesaa.net/article/313356355.html
「上野 阿部定の足跡 星菊水」http://zassha.seesaa.net/article/312979470.html
「日本橋浜町 阿部定の足跡 浜町公園」http://zassha.seesaa.net/article/316491763.html

posted by y.s at 22:58| Comment(4) | 各地various parts of japan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
もしも、阿部定のお墓があったなら、この地蔵寺にあるのではと考えてしまいますよね。他にはといいますと・・・。私的には、事件前に、両親が相次いで亡くなっており、母の初七日の法要で、ようやく埼玉の坂戸へ帰ったと予審調書で述べているので、坂戸市内のお寺。出所後、東京佐原区上明神町(旧住所)に住む長女の家に身を寄せたので、まだ親族が住んでいれば、近くのお寺。1980年代に、丸山友岐子というルポライターが、定の姪の娘と対談して、健在であることが分かっているので、その人の身内扱いで近隣のお寺へ。かなり裕福なお宅らしく、東京から新幹線で数時間の高級住宅街にあると書き出しが。名古屋か神戸の芦屋か?最後は、栃木刑務所で世話になった教誨師と出所後も交流していたらしいので、教誨師の檀家のお寺。以上です。後は、身延山久遠寺しか考えられませんが、阿部定正伝の著者が否定していたので、阿部定が亡くなった後は、密かに姪の娘が被害者の命日にお花を届けている位でしょうか?その人は推定で70歳近くかな。
Posted by 定マニア at 2013年02月03日 12:59
阿部定事件について初めて知ったのは、まだ小学校位だったと思います。テレビ朝日のスペシャル番組だったか、昭和の100大事件を一挙に紹介しており、記憶違いかもしれませんが、白黒映像で阿部定さんの動画もありました。年月は流れ、観ることのできない映画云々で、愛のコリーダを知り、そこから定マニアが始まりました。不思議なご縁で、会社の得意先にネクタイ製造会社の社長さんがおりまして、たまたま飲みに行きました。年配者ですから、なるべく古い話をするようにして、阿部定事件の話を私からしたんです。なんと、社長さんは阿部定さんの甥っ子と幼なじみで、星菊水で叔母さんだといきなり紹介されたんだとか。当然、いつ彼女が亡くなったのかは聞いているのでは?と期待しました。話を聞いた年から逆算すると1987年頃に亡くなられたとのこと。丁度、身延山久遠寺にお花や供養料が届かなくなった時期と一致します。しかしながら、いくら幼なじみでも、どこにお墓があるのかは教えてくれなかったそうです。やはり、身内としてはそっとしておいて欲しいのでしょう。社長さんも話してくれた翌年に亡くなられましたので、甥っ子も健在の可能性は低いと思います。
Posted by 定マニア at 2013年02月06日 10:07
定マニアさん 情報ありがとうございます。
30年ほど前(1980年頃)が調べる限界ですね。直接関係のあった人の証言なしには闇のなかをさまようばかり。関連した様々は施設等もほぼ失われてしまった現在となっては、その跡地を探すことが目的化してしまうのでかなりむなしいです。身延山での消息を基にする一般的な定説がもっとも適切だと考えられます。以前「正伝」に記載のある麻布十番の吉蔵の無縁塔を探しにいきましたが墓地内に見つからず、それ以降はパワーも急降下、アップすること自体辞めようと思ってましたが、最近になり関西方面に行く機会が多く撮り足した分から再びアップしている次第なのです。
Posted by 管理人 at 2013年02月06日 17:36
(ToT)私も、実のところ「阿部定正伝」に踊らされました。あの本が、定モノでは一番新しいからと信じてしまったのです。吉蔵さんの霊が眠る無縁塔ってありませんでしたよね。吉田屋の隣に昔からある甘納豆屋もありませんでしたね。恐らくおせん××屋さんのことじゃないでしょうか。大正楼の建物も、本では、装飾ランプが軒下にある洋館風の建物であるかのように書かれていて、他の人のサイトでも勘違いしている人がいたりしました。著者としては、野次馬が来ないように配慮したつもり。なのかもしれませんが、ちょっとやり過ぎではないでしょうか。最後の方で、阿部定の身内とされる人物にインタビューしています。阿部定さんから見ると、一番上か二番目のお姉さんの子供か孫に当たる人だと思いますが、もしも先に説明した社長さんの幼なじみだったとしても、最後を看取ってあげているのだから、野垂れ死にだとか、迷惑な身内という言い方はしないと思います。正直にいつ頃亡くなった。彼女は一般人だから、あれこれ詮索するのはよしましょうって書けば良かったのに。しまいのしまいに、謎は謎のままにしておくのがいいのではないかって・・・。
Posted by 定マニア at 2013年02月08日 09:47
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