鳥羽・伏見の戦の時点では、この橋本砲台場は小浜藩・酒井若狭守忠氏が守備に当たり、対岸の高浜砲台場は津藩・藤堂和泉守が任されている。共同して幕府軍を支援する形がとられるはずだったが、慶応4年正月6日午前、淀方面からの退却戦のさなかの幕府軍に対し藤堂家は薩長軍側に寝返り対岸の味方に砲撃開始、交戦は夕刻まで続く。
砲台場跡は1910年(明治43年)くらいまでその形状を残していたが、京阪電鉄の開設の工事で(淀川側の台場端に線路)土塁・盛り土などが取り崩され流用されたという。
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1868年(慶応4)
1月2日 幕府軍(会津・桑名藩兵主力)、京都を目指し出陣。
京都見廻組の約400名を佐々木只三郎が指揮。
残存の約200名は大阪警備に就く。淀に宿陣。
1月3日 鳥羽伏見の戦(戊辰戦争勃発)北上した京都見廻組
は上鳥羽にて戦う。
幕府軍、夜半、淀方向に退去。
1月4日 京都見廻組は下鳥羽布陣し、早朝より進撃開始。
後方支援無く退却に。
富ノ森にて休陣。午後4時頃、新政府軍と接近戦に。
1月5日 富ノ森と千両松(淀)で交戦。午前8時〜昼は戦闘に。
午後には敗走開始。
(新撰組の永倉新八の書で6日のこととして、兵300を
引き連れる佐々木只三郎と遭遇、富ノ森は佐々木に
任せ、新撰組は千両松に向かう)。
富ノ森では会津藩槍隊が奮戦。大砲隊の白井五郎太夫
ら戦死者多数に。木津川を渡り八幡・橋本方面に退却。
橋本台場や八幡・男山に布陣。
1月6日 早朝より銃撃戦開始。木津川を淀方面から渡河する薩摩
藩兵に備えて新選組(土方・原田隊)は上陸地付近に・・
永倉新八・斎藤一隊は八幡男山に布陣。
佐々木は土方歳三に対し、「川向いの堤に兵を・・云々」
と告げている。この後、堤から山側に移動中に
佐々木只三郎は銃弾により負傷。現在でも畑や木々が
生い茂る橋本周辺・・すぐ近くに迫る小高い山・・
負傷した位置の特定は不可能。
橋本周辺から砲台跡、そして南方の樟葉(くずは)に至る
地域であることは間違いない。佐々木只三郎は重傷を負い、
彼の戦いはここで幕を閉じる。
この頃、橋本砲台の対岸(山崎側)の幕府軍の高浜砲台の
守備を任されていた津藩藤堂家が裏切り、幕府軍に対して
攻撃開始。夕刻には幕府軍は総崩れで枚方方面に退却。
1月6日夜、徳川慶喜は会津藩主・松平容保らを伴い大阪城を脱出。
戦意喪失の敵前逃亡(夜逃げ状態)、海路江戸に。
翌7日、旧幕軍解体に。
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近年、枚方市教育委員会が樟葉台場(橋本台場)を発掘調査し、その資料を安価で販売中です。100円。
この台場一帯は樟葉中之芝で大阪府枚方市、台場のすぐ北側は橋本宿で(橋本遊郭跡・建物が残存していて撮影に訪れる方が多い)京都府。府境に当たる場所で石柱には「橋本台場」と刻まれています。
枚方市http://www.city.hirakata.osaka.jp/life/4/23/
<No.9に国史跡楠葉台場跡小冊子>
平成23年2月に国史跡に指定された楠葉台場跡の概要や歴史、周辺の見どころなどを地図入りで紹介したパンフレット(A4、16ページ/平成23年3月発行)http://www.city.hirakata.osaka.jp/soshiki/bunkazai/hanbaitosyo1.html 最下段のナンバー9です。
内容は<淀川両岸台場の完成と船番所の増設・楠葉台場の構造•稜堡式築城とは•幻の楠葉台場設計図•鳥羽伏見の合戦•維新後の楠葉台場•発掘調査でわかる楠葉台場跡>など。
文化財課 〒573-1159 枚方市車塚1丁目1-1 輝きプラザきらら4階
*参考資料 上記パンフ
「日本城郭体系12 大阪・兵庫」1981年刊
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