2013年02月09日

四谷 手塚治虫 下宿跡(上京初下宿)

1952年(昭和27年)、手塚治虫(23歳)は本格的に漫画活動に専念すべく活動拠点を東京に移してます。上京した当初は都内の旅館を点々としますが、経費節約と編集者との連絡が容易になるという利点で下宿を探すことになります。結果を先に述べると、この下宿が現在に至るまで確定できてません。「四谷の八百屋の2階」とだけ判明してるのみで後は推定で述べられているだけ。手塚治虫の評伝・年譜は簡単に1行で「四谷の八百屋」というだけでさっと通過。この下宿を退散する理由が「編集者の出入りが激しく迷惑をかける」なのですが、この何度も訪れている編集者たちへの取材は過去に行われなかったのでしょうか。簡単に場所の確定が可能だったのに。手塚治虫は翌年1953年(昭和28年)1月に豊島区椎名町の(こちらは伝説化するほど有名な)「トキワ荘」(解体)に移ってゆきます。
下記の評伝「手塚治虫」(竹内オサム著)のみに明確に下宿先の名称と大体の場所の説明がなされてますが、住所記載がないため特定は難しいです。また、手塚治虫の総本山といえる「宝塚市立・手塚治虫記念館」を訪れ、(恐らく)学芸員の方からのメモも頂きましたが推定でいままでいわれていた場所と同じ。
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評伝「手塚治虫」(竹内オサム著)の「四谷駅から新宿方向に向かい、文化放送局の少し手前を左に入った右側の2軒目、山崎商店の2階である(四谷2丁目)」(P176)・・ん〜ん・・ズバリ言い切ってます・・が・・この「少し」が問題なのです それと「山崎商店」ってもちろん八百屋とは思うのですが 小学校に入る現在の児童公園の路地は省くのかな・・火災保険地図(昭和26)には何故か商店・個人名が大幅に省かれており・・昭和30年代の住宅地図は道路拡張後のものになってしまう 左右写真は地図の赤丸推定の位置
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手書き地図の赤丸3ヶ所・・和菓子「坂本屋」(カステラを目の前で作ってます)のご主人は戦後からこの地で営業・・「八百屋などこの辺には無かったよ」・・道路向いの古本屋も古くて手塚治虫ファンだったから何か知ってるかも・・と情報(だがシャッター降りたままで休業中) 路地に赤丸だけの所が推定場所 
(右写真)宝塚の記念館で頂いたメモ「四谷1丁目3番の成木屋」と旧来の推定場所
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なんか可愛過ぎるアトム像(記念館のホールで) 宝塚の手塚治虫記念館は駅からやや歩く場所にありますが、展示は想像以上に充実していて大人でも楽しめます・・それと途中で宝塚音楽学校の方だと思われる美人さんに遭遇・・音楽学校に入る路地手前でファン風の女グループに話かけられていたから恐らく・・記念館への道は宝塚大劇場へのスミレ咲く歩道と共通なのです

その宝塚の美人さんの写真忘れていないのかって声が・・・もちろんポニーテールで買い物で駅のほうに行った帰り風のその後ろ姿・・・(ストーカー風の写真載せるとこのブログの気品が・・)・・で、撮っていません!


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posted by t.z at 14:54| Comment(0) | 東京北西部tokyo-northwest | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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