2013年02月15日

渋谷 寺山修司住居侵入事件現場 瀬戸内寂聴「奇縁まんだら」より

現在、劇団「天井桟敷」を主宰する寺山修司が住居侵入容疑で拘留(2日間)された事件の現場一帯は、大規模再開発計画により更地となっており、かっての木造住宅などが密集した路地裏の様相を思い浮かべる術は失われている。
寺山のこの「事件」は、メディアが一斉に飛びつく半月ほど前(1980年7月13日)に、渋谷署に「八幡荘」への住居侵入容疑で2日間拘留されただけで略式起訴(罰金刑)を受け、すでに決着していた。その後寺山は映画ロケで中国(香港)に出国し、8月16日に帰国した頃には、国内では、すっかり「のぞき犯・寺山」が定着していた。記者会見での寺山の言い分を要約すると、天井桟敷の「市街劇」のロケハン中であった、というのだ。
だが、常習性があったという天井桟敷の内部情報もある。それを紹介している文章(瀬戸内寂聴「奇縁まんだら」最終巻2011年刊)を引用してみる。
<<私は寺山さんと縁の深い友人たち、美輪さん、三島由紀夫さん、篠田正浩さん、萩原朔美さん、唐十郎さんたちとはみんな親しいのに、寺山さんとはこの世でたった二度しか逢っていない。寺山さんの句や歌や詩や文章は愛読していて、この人は恐るべき天才だと信じていた。だから晩年、のぞき現行犯でつかまり、でかでかニュースに出た時もびっくりしなかった。天才とはそんなへンなことをする妖怪だと思っていたからだ。天井桟敷で一番若い美少年だった萩原朔美さんが著書の「思い出のなかの寺山修司」で云っている。寺山さんはパリのホテルでも覗きで追い出されたことが何回もあると。>>
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(左写真)「八幡荘」があった位置は画面中央奥やや左寄り付近。(右写真)再開発で9階建てビルが着工される予定。
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(左写真)現場見取り図。現場近くに記入した「松原荘」は、かって寺山の住居だった木造アパート(現在は建て替えられてビルになっている=右写真)。かっての通り道で土地勘があり、ロケハンの対象になったようだ。「事件」当時の新聞に書かれた住所は、港区元麻布三丁目(天井桟敷館と同じ表示で港区元麻布3-12)であった。この天井桟敷館で若かりし頃の園子温氏(映画監督)のエピソードがあるが別項で。「恐るべき天才」寺山は、この「事件」のわずか3年後の1983年5月4日に満47歳で病没している。
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posted by t.z at 02:52| Comment(0) | 東京北西部tokyo-northwest | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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