2013年02月20日

赤坂 2月20日・小林多喜二虐殺 (検挙場所) 

作家・小林多喜二は1933年(昭和8年)2月20日正午過ぎ赤坂區福吉町(旧町名)での連絡活動中、特高のスパイの罠に陥り今村恒夫とともに赤坂・田町6丁目の芸妓屋街を中心に逃走、溜池の市電通りで検挙され、連行された築地署の特高の激しい拷問により同夜・午後7時45分に絶命。今日が命日です。やっと花を手向ける代わりとしてこの写真と気持ちを捧げることができました。 *このブログは政冶的性格を有していませんし・・まして日共とは無縁です。
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道路右側が旧・福吉町です 左側は新町・田町になります 多喜二らの連絡場所といわれるそば屋「更科庵」は詳細な戦前の火災保険地図等で調べましたが・・田町6丁目のそば店「やぶそば田中」のみがチェックできたのみで不明です 空襲で赤坂一帯は灰燼に帰しており調査はストップしたままです 恐らく右側のどこかだと想像してます (右写真)道路左に樹木の辺りに「やぶそば田中」(地図の赤斜線) 
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上段の右写真から田町芸妓屋街の細路地に・・現在も料亭街として・・夜は政治家の方々がお出ましです ほとんどビル化して風情は無くなってます 多喜二はこの路地を縦横に着物のすそをからげて疾走したに違いないです
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「・・前の広い道を左に曲がれば市電の走る大通りに出れるぞ・・市電の通りだ・・多喜二は右の溜池停車場のほうに逃げろ・・私は山王下に逃げる・・さらばだ!・・(多喜二が一瞬だがこちらに顔を向けて微笑む)・・」
このシーンだけが夢の中によく現れます。場所もこの辺りのようで周囲の風景は戦前の木造2階建てが軒を並べている。何故だか多喜二と一緒に逃げている・・後ろには何も言わずに特高が迫っている。
文学者としての小林多喜二のファンです。それ以上に心優しい人間としての多喜二に寄り添ってしまいそうなくらい惹かれます。昨年、奈良駅から志賀直哉邸まで小林多喜二の辿った道を想像しながら歩みました。彼の視た風景を追体験するうちにいつものように涙が溢れ出て、前方から人が来る度に顔を見られないように苦労することに。死の前年(昭和7年)の4月上旬に多喜二は単独で志賀直哉を訪ね、帰京後に地下活動に入り隠れ家を転々としながら死に向かって行きます。なんの恐れもなく春の陽を浴びながら広々とした風景のなかを歩く多喜二。すぐそこに29歳の死が(満29歳)。
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情報統制の中で資料そのものが限られてます ほとんどを想像するしかないのです 多喜二が視た街並みを当時の地図上で自分だけでも再現してみようと作ったものです もう管理人は細かな路地を走りだしてます・・多喜二の背中を追うように *地図のMの表記は「待合」のMです(三業地の内の1業態) 
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右の新聞広告は、死の2ヶ月前に多喜二が特高の眼を逃れて鑑賞したコンサートの告知・・見つけたときは反射的にデジカメを取り出しそうに・・ここは都の中央図書館・・コピー申し込みコーナーに! *昭和8年2月22日(水曜)付け東京日日新聞の多喜二の年齢は31歳と数え年齢で表記してますが、満では29歳です

*参考資料等は「多喜二の死 築地署」でまとめて表示します・・早目にアップします。

posted by y.s at 22:22| Comment(0) | 赤坂 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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