2013年02月23日

渋谷 円山町 阿部定の足跡 待合みつわ跡

昭和11年4月、阿部定(31歳・当時は変名使用=田中加代)は、新井薬師の割烹料理屋「吉田屋」(中野区新井538番地=現在の新井1丁目)に住み込み女中として働き始める。「吉田屋」の主人は、石田吉蔵(42歳・新井三業組合組合長)。4月中旬頃、「吉田屋」内の離れ座敷で、初めて定は吉蔵と関係をもつ。4月19日に吉蔵との情交現場を女中仲間に見られたことから、内儀(吉蔵の妻とく=当時43歳)の知るところとなってしまう。石田と定は関係を続けるために「吉田屋」を出て、各所の待合に泊り歩くようになる。定が「吉田屋」に女中奉公に入った理由は、定の援助者であった名古屋市にある中京商業の元校長大宮五郎が、定に小料理店を出させる為の準備として見習い修行に送り出したことによる。
「予審訊問調書」より
<<そうです。本年四月十九日の晩、私と石田が応接間の電気を消して、そこで関係しようとしている時、女中に見つけられてしまい、家人に知れたので、石田がゆっくり外で相談しようと云い、四月二十二日の朝、示し合せて家出し、渋谷丸(ママ)山町の待合「みつわ」に行きました。>>
4月22日の朝方、定は新宿駅で石田と会うことを示し合わせたて家出する。その後、渋谷円山町の待合「みつわ」(円山町85番地)に入る。交通手段は省電を使ったのか円タクに乗り込んだのかは分からない。
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円山町の待合「みつわ」跡地(写真の右端 植木付近は84番地になる) 地図で5の位置の下側(奥)の赤文字85番のところ 
戦前の詳細地図「火災保険特殊図」渋谷地区の大部分が欠落しており、戦時下の空襲で地番85〜86番は焼失している。終戦直後の詳細地図でも待合「みつわ」の位置は確認できない。待合「みつわ」は米軍の焼夷弾攻撃で灰燼に帰しているはずだ。なお待合「みつわ」の住所は判決文に記載されている。*読者からの投稿により判明した内容を追加。「みつわ」跡は、戦後、旅館「千賀(センガ)」へと変わったが、昭和50年代になり取り壊されたという。
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(左写真)赤のコーンのある所が地図の赤数字5の位置で、かって妓楼・花隅柳の建物があった (右写真)その正面 
**花隅柳の裏(南側)が待合「みつわ」があった場所。地図の1と薬局の間の路地には戦前から存在する石段の道が残っている。そこを上がり、コの字に進むと待合「みつわ」跡に辿りつく。
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(左写真)「くすり」の看板の位置が地図黒丸の吉田薬局(現・ドラッグヨシダ)に該当する。85番地との境界83番地の端の店だ。薬局の先が85番地となり、地図赤数字の1・2・3・4・5の位置となる。現風景とはまったく異なる木造の妓楼が建ち並らぶ艶っぽい軒並みであった。
阿部定は、この待合「みつわ」について予審訊問調書で多くを供述している。<<「実際、私が今までに接した数多くの男の中で、石田は一番情事が濃厚で上手でした。>> 定はこの待合に来るまでは、ほんの浮気をするくらいの気持ちでいた答えている。すぐに帰るつもりでいたようだが、吉蔵の「ここに来てまで旦那と呼ぶなよ」という言葉を聞いたあたりから定の気持ちに変化が現れ始める。この夜から流連(泊り歩く)するうちに、定には吉蔵がこの世におけるすべてとなってゆく。
参考
「阿部定手記」中公文庫1998年刊 
「阿部定正伝」情報センター出版局1998年刊
映画「愛のコリーダ」大島渚監督1976年10月公開
事件当時の新聞各紙

「上野 阿部定の足跡 坂本町の長屋跡」http://zassha.seesaa.net/article/312996652.html
「兵庫・篠山市 阿部定の足跡 京口新地」http://zassha.seesaa.net/article/313095541.html
「名古屋 阿部定の足跡 中村遊郭」http://zassha.seesaa.net/article/313453094.html
「神田 阿部定の足跡 出生地と小学校」http://zassha.seesaa.net/article/313356355.html
「上野 阿部定の足跡 星菊水」http://zassha.seesaa.net/article/312979470.html
「日本橋浜町 阿部定の足跡 浜町公園」http://zassha.seesaa.net/article/316491763.html
「大津 阿部定の足跡 地蔵寺」http://zassha.seesaa.net/article/316571479.html
「浅草 阿部定の足跡 百万弗劇場」http://zassha.seesaa.net/article/319694968.html
「宇治 阿部定の足跡 菊屋旅館跡」http://zassha.seesaa.net/article/381905711.html


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posted by t.z at 06:52| Comment(2) | 東京北西部tokyo-northwest | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
昔この界隈に住んでいた者です。
図の「5」の下の85と記載されているあたりに「千賀(センガ)」という旅館(ラブホテル)がありました。 昭和50年代までありました。 ここがこの事件の起きた場所です。
名前は変遷していると思われますが、地元では有名でした。
Posted by 円山町 at 2013年06月09日 18:34
円山町さん
大変貴重な指示を戴き感謝いたします。
戦前の詳細な地図=火保特殊地図を都中央図書館で調べましたが、渋谷周辺地域は抜け落ちていて、手書きした戦後のもので間に合わせた次第です。付近の古い酒屋さんでも聞き取りしましたが詳細は不明のままでした。
重ねてお礼いたします。
Posted by 管理人 at 2013年06月09日 21:34
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