「予審訊問調書」より
<<そうです。本年四月十九日の晩、私と石田が応接間の電気を消して、そこで関係しようとしている時、女中に見つけられてしまい、家人に知れたので、石田がゆっくり外で相談しようと云い、四月二十二日の朝、示し合せて家出し、渋谷丸(ママ)山町の待合「みつわ」に行きました。>>
4月22日の朝方、定は新宿駅で石田と会うことを示し合わせたて家出する。その後、渋谷円山町の待合「みつわ」(円山町85番地)に入る。交通手段は省電を使ったのか円タクに乗り込んだのかは分からない。
戦前の詳細地図「火災保険特殊図」渋谷地区の大部分が欠落しており、戦時下の空襲で地番85〜86番は焼失している。終戦直後の詳細地図でも待合「みつわ」の位置は確認できない。待合「みつわ」は米軍の焼夷弾攻撃で灰燼に帰しているはずだ。なお待合「みつわ」の住所は判決文に記載されている。*読者からの投稿により判明した内容を追加。「みつわ」跡は、戦後、旅館「千賀(センガ)」へと変わったが、昭和50年代になり取り壊されたという。
**花隅柳の裏(南側)が待合「みつわ」があった場所。地図の1と薬局の間の路地には戦前から存在する石段の道が残っている。そこを上がり、コの字に進むと待合「みつわ」跡に辿りつく。
阿部定は、この待合「みつわ」について予審訊問調書で多くを供述している。<<「実際、私が今までに接した数多くの男の中で、石田は一番情事が濃厚で上手でした。>> 定はこの待合に来るまでは、ほんの浮気をするくらいの気持ちでいた答えている。すぐに帰るつもりでいたようだが、吉蔵の「ここに来てまで旦那と呼ぶなよ」という言葉を聞いたあたりから定の気持ちに変化が現れ始める。この夜から流連(泊り歩く)するうちに、定には吉蔵がこの世におけるすべてとなってゆく。
参考
「阿部定手記」中公文庫1998年刊
「阿部定正伝」情報センター出版局1998年刊
映画「愛のコリーダ」大島渚監督1976年10月公開
事件当時の新聞各紙
「上野 阿部定の足跡 坂本町の長屋跡」http://zassha.seesaa.net/article/312996652.html
「兵庫・篠山市 阿部定の足跡 京口新地」http://zassha.seesaa.net/article/313095541.html
「名古屋 阿部定の足跡 中村遊郭」http://zassha.seesaa.net/article/313453094.html
「神田 阿部定の足跡 出生地と小学校」http://zassha.seesaa.net/article/313356355.html
「上野 阿部定の足跡 星菊水」http://zassha.seesaa.net/article/312979470.html
「日本橋浜町 阿部定の足跡 浜町公園」http://zassha.seesaa.net/article/316491763.html
「大津 阿部定の足跡 地蔵寺」http://zassha.seesaa.net/article/316571479.html
「浅草 阿部定の足跡 百万弗劇場」http://zassha.seesaa.net/article/319694968.html
「宇治 阿部定の足跡 菊屋旅館跡」http://zassha.seesaa.net/article/381905711.html
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図の「5」の下の85と記載されているあたりに「千賀(センガ)」という旅館(ラブホテル)がありました。 昭和50年代までありました。 ここがこの事件の起きた場所です。
名前は変遷していると思われますが、地元では有名でした。
大変貴重な指示を戴き感謝いたします。
戦前の詳細な地図=火保特殊地図を都中央図書館で調べましたが、渋谷周辺地域は抜け落ちていて、手書きした戦後のもので間に合わせた次第です。付近の古い酒屋さんでも聞き取りしましたが詳細は不明のままでした。
重ねてお礼いたします。