2013年02月26日

中野 北一輝 検挙現場(2・26事件)

2・26事件の理論的指導者として民間人ながら軍法会議にかけられ、非公開・無弁護人・一審制のもとで銃殺刑に処せられた北一輝が憲兵隊に逮捕された現場であるとともに最後の住居であった中野区桃園町の旧居周辺の写真です。当時とは道路も新しく敷設されているようで「おそらくこの付近」です。
管理人は学生時代(夏)に北一輝の故郷・佐渡の両津を訪れたことがありますが・・新潟港をでた連絡船が佐渡の山々が近くに見えているのにえらく時間がかかったこと+相川の海岸(公園だったか?)にサーカスのテントが張られていたこと(初めてサーカステントを見た)ぐらいしか記憶に残っていないのです。両津港周辺の町並みを歩いた記憶はなんとなくあるのですが、北一輝を意識して訪れているので生家跡などは訪れているはずなのですが・・・思い出せないでいます。
鈴木清順監督の日活映画「けんかえれじい」でラストのワンシーンに登場するのが北一輝・・主演の高橋英樹が上京する時に「大きな喧嘩」が起こっていたのです。北一輝というとこのシーンが強烈に焼きついてしまっています。北一輝は幼年時代に眼病で右眼を失明しており義眼・・左眼のみで世間を観察していました。
「国体論及び純正社会主義」の天皇制問題などから始めると途轍もなくなるので興味ある方は、参考に読んだ文庫本を挙げておきます(長期間本棚の隅にいまだに居座っている)。
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昭和10年10月に梅屋庄吉の別荘に移転します・・旧表示で中野区桃園町40番地・・2枚とも北側からです・・南側の低地側の道路からも撮りましたが地番が違ってくるので省略 当時はおそらく樹木に覆われた建物だったと思います
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3月10日の夜になりようやく戒厳司令部から拘束・取調べ中の発表(東京朝日新聞3月11日付朝刊)
右の地図・・かなり広い別荘だったようで周辺の地番は細かく並んでますが40番地のみ周囲が空白
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昭和6年2月に移転してきた大久保・百人町2丁目の住居跡です・・現在はテニスコートに・・かなり広い敷地 JR大久保駅から細路地を北に200m(地図にテニスコート出てるので・・手製地図は省略)

  *北一輝周辺の略年譜
1931年(昭和6年)48歳
 2月 牛込より大久保百人町に移転 
 10月 十月事件未遂に(桜会・大川周明ら軍部内閣樹立クーデタ発覚 北一輝・西田派も参加)
1932年(昭和7年)49歳 
 2〜3月 血盟団事件 井上準之助(2月9日射殺)・団琢麿(3月5日射殺)暗殺相次ぐ。
 4月 北一輝「対外国策ニ関スル建白書」執筆。
 5月 5・15事件 犬養首相暗殺。夜、西田税が撃たれ重傷。
   北、西田の看病中に後の2・26事件参加の陸軍青年将校の多くを知る。 
   北、この年より三井財閥・池田成彬から盆暮れに多額の金を送付され始める。
1933年(昭和8年)50歳
 11月 救国埼玉挺身隊事件が発覚。事件背後の中心人物は栗原安秀中尉。
1934年(昭和9年) 51歳
 3月5日 永田鉄山が陸軍省軍務局長に就任・・統制派進出開始。
 11月20日 陸軍士官学校事件(クーデタ計画摘発)により、村中孝次大尉・磯部浅一主計逮捕(不起訴処分)
1935年(昭和10年) 52歳
 4月6日 真崎教育総監、全陸軍に「国体明微」を訓示。
 夏 北一輝、大久保百人町から岩田富美夫方に移る。
 7月11日 村中・磯部「粛軍に関する意見書」配布。
 7月16日 真崎教育総監罷免され後任に渡辺錠太郎着任・・統制・皇道両派の対立深刻に。 
 8月12日 陸軍省軍務局長・永田鉄山、省内局長室で皇道派・相沢三郎中佐に斬殺される。
 10月 北一輝、梅屋庄吉の別荘に移転。中野区桃園町40番地(現在の中野3丁目)。
1936年(昭和11年) 53歳
 2月 2・26事件勃発。
 2月27日 帝都(東京市)に戒厳令発布(7月18日に解除)
 2月28日午後 北一輝、憲兵隊に検挙
 3月17日〜21日 北一輝、警視庁で取調べ。
 4月22日 北の取調調書が軍法会議に送られる。
 7月12日 2・26事件第1次15名処刑。
 10月1日 北の第1回公判。
 10月22日 北一輝、論告求刑。
1937年(昭和12年) 54歳
 1月18日 磯部・村中に判決。
 8月14日 北・西田(元騎兵少尉34歳)に叛乱罪(首魁)で死刑判決。
 軍法会議は非公開・無弁護人・一審制。青年将校らへの理論的指導者とされ、直接関与も無い民間人でありながら事件の首魁として死刑判決に。
 8月19日 午前5時50分 北一輝・西田税・磯部浅一・村中孝次ら東京陸軍刑務所で銃殺刑執行。
  *東京陸軍刑務所は現在の渋谷区役所の位置・・処刑場はお決まりの敷地北側隅(別項目でアップ予定)

以下は、昭和33年建立の目黒不動尊の境内の「北一輝先生碑」。碑文は大川周明。
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この写真だと判読不可能・・大きくしてみると・・下の写真
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大きくしても・・白い説明板でお願いします
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          1983年3月10日の新聞広告です

 *参考資料 松本健一氏の労作はまだこの2巻のみ読了しただけ・・
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  nakano kita14.jpg   nakano kita15.jpg

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posted by t.z at 01:45| Comment(0) | 東京北西部tokyo-northwest | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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