2013年02月27日

内幸町 飛行会館の大アドバルーン(2・26事件)

2月28日に至って反乱事件は最終局面に差し掛かり、戒厳司令部では反乱部隊への武力討伐方針が午前中に決定、午後には決起将校が部隊の下士官兵に対し檄文を発し「皇軍相撃」が迫る状況に。

1936年(昭和11年) 
2月28日 
午後8時 香椎戒厳司令官(中将)が指揮下の各部隊に29日午前5時以降に攻撃可能にする準備命令を発する。
 同時刻に憲兵隊司令部(現・千代田区役所ビル東隣り)は中野・桃園町の自宅で北一輝を逮捕。
午後10時すぎ戦闘に備えて料亭「幸楽」(現・プルデンシャルタワー)の安藤隊が「山王ホテル」(現・山王パークタワー北側広場上一帯)へ移動。
午後11時 戒厳司令部(現・九段会館)「戒作命第14号」発令。29日午前5時までに攻撃準備を完了し、住民避難を行った後の午前9時を期して反乱各部隊への攻撃を命令。

2月29日 
午前3時すぎ、陸軍省新聞班の大久保少佐が偕行社(九段坂上)を訪れて軍事参議官らに下士官兵への帰順勧告文の作成・配布を提案。
 <朝、飛行会館の屋上より「勅命下る軍旗に手向かうな」と帰順を促す大アドバルーンが揚げられる>
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     昭和11年3月22日東京朝日新聞号外のアドバルーンの写真
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田村町交差点(現在は西新橋交差点)近くの日比谷通り沿いに当時と同じ場所に建つ会館ビル(交差点角の黒いビルの隣り・現在のビル名は「航空会館」)
飛行会館(6階建て)の屋上建屋(2階)の上にアドバルーンは括り付けられたという

午前8時 立川飛行場から「下士官兵ニ告グ」のビラを乗せた飛行機が出発。三宅坂周辺にビラ投下(宮城内堀に多く落ちて失敗)。反乱部隊のバリケード周辺では戦車でビラを撒く。
午前8時55分 戒厳司令部に反乱部隊の兵がラジオを聞いているとの情報が入り、即座に司令部内の特設放送室から中村アナウンサーが繰り返し「兵に告ぐ」をラジオ放送(原稿は大久保少佐)・・「勅命が発せられたのである。既に天皇陛下の御命令が・・・」。
午前9時30分頃より警視庁方面の反乱部隊から一部が帰順開始。
午後0時45分 反乱部隊将校15名の免官が内閣より発表(下の新聞号外参照)。
午後1時前 山王ホテルの安藤隊を除く部隊が帰順。反乱部隊将校は陸相官邸に集められる。
午後2時すぎ 陸相官邸で野中四郎大尉が拳銃自決。
午後3時頃 山王ホテルで安藤大尉が拳銃自決を図るが失敗。重傷を負い衛戍病院に搬送。
午後3時 戒厳司令部の午後3時発表の終結宣言・・「全く鎮定を見るに至れり」。
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「麻布十番 賢崇寺 二十二士の墓(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/21795261.html
「赤坂 近衛歩兵第3聯隊跡(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/138528702.html
「湯河原 牧野伯爵宿舎(前・内大臣)伊東屋旅館別荘(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/331635880.html
「中野 北一輝 検挙現場(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/331937769.html
「六本木 聯隊前 龍土軒(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/331977707.html
「赤坂 高橋是清・蔵相私邸(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/332103469.html

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posted by y.s at 12:01| Comment(0) | 東京東南部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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