2013年03月05日

駒場 歩1栗原中尉私宅と山下奉文少将私宅(2・26事件)

昭和11年3月1日の2・26事件の中心メンバー栗原(歩兵第1聯隊元中尉)に対する赤坂憲兵隊分隊の取調べでは事件の4日前の「2月22日の晩に私の宅に磯部浅一・村中孝次・香田清貞の4人」で会合を持ち「2月26日払暁に決行しようと話はついた」と陳述。空川という小川が流れる岸辺にある栗原中尉の私宅で「2・26事件」の決行日がはじめて具体化したのです。ほとんど知られていないこの陸軍の町の北辺にある駒場町のさらに細い路地奥で歴史に残る大事件の導火線に火が点けられたのです。「2・26事件決行日決定の地」という小さい碑が建てられていてもおかしくはないのです。
この駒場町804番地の栗原中尉宅から陸軍将校らの住宅地であった偕行社目黒住宅をはさんだ西側には当時は陸軍省軍事調査部長であった山下奉文(ともゆき)少将(終戦時は大将)の私宅がありました。栗原中尉宅の脇を流れる空川を西に250mほど遡った御成橋のすぐ東側の傾斜地に皇道派と目された将軍の私宅があったのですです(駒場町775番・位置関係は下の地図参照・空川・御成橋等は現在暗渠となったため地図上でのみ確認できます)。
3月3日の東京衛戍刑務所(渋谷)での第2回尋問で栗原元中尉は「山下少将については同志から昭和維新については考えが同じと聴いていた」と返答してます。占拠した陸相官邸の早い時間帯での入邸許可メンバー一覧にも「調査部長・山下少将」名があり、その陸相官邸内で26日午前中に山下は青年将校らの行動が「天聴に達した」と直接伝達してます。29日朝には山下少将(三原中佐も同席)は青年将校3人(栗原と高橋・麦谷両少尉)への説得で自決を勧め、侍従武官長を通じ天皇へ差遣を要請しますが決起の最初の段階から怒りの収まらない天皇は「自殺したければ勝手にしろ」と返答(別項目で詳細有り)。また別の決起将校の陳述では(憲兵隊本部による坂井中尉への調書)、2月15日に山下少将の自宅へ歩兵第3聯隊・坂井中尉(四谷の内大臣邸襲撃指揮)は聯隊将校十数名と連れ立って訪問し相沢中佐公判の関連情報を聴いたとの証言もあります。
komaba226 01.JPG   komaba226 02.JPG
(左写真)右角付近が栗原中尉宅跡 (右写真)栗原中尉宅付近から西側の崖上の偕行社目黒住宅方向
komaba226 03.JPG  komaba226 04.JPG
上写真の右に曲がった位置 栗原中尉宅は右側 右写真は逆から=この撮影位置に空川(暗渠に)
*以下は栗原中尉宅の西側台地にあった偕行社(かいこうしゃ)目黒住宅跡地です。現在も一部分ですが細い路地(車通行不可)も残っており地図では全体の半分くらいは跡地が確認できます。当時の建物は空襲で焼失しており皆無。西側の裏門から山下少将宅へ向かう途中に旧表示板が貼られた古い平屋建てがあり当時を思い起こされます(将校住宅は平屋建だった)。
komaba226 05.JPG komaba226 06.JPG
(左写真)写真の中央に路地があり偕行社目黒住宅の正門だった(右写真)西側にあった裏門位置
komaba226 07.JPG  komaba226 08.JPG
(左写真)坂の右側(北側)が旧表示の駒場町775番で山下奉文少将の私邸付近 (右写真)坂上の古い平屋建物に残る旧表示
komaba226 09.JPG   komaba226 10.jpg
(左写真)山下少将邸の西側坂下の空川に架かっていた御成橋跡 帝都電鉄の駅に近い場所です
山下少将は敗戦後、フィリピン・マニラでの戦犯裁判で死刑判決を受け1946年(昭和21年)2月23日に執行されました。*地図記入の店舗等は昭和初期のもので現時点の目印ではありません。

*以下は多摩霊園の山下将軍(敗戦時は陸軍大将)の墓です。大きな顕彰碑が脇にありますが墓石には肩書きもなく無骨な武人らしさが漂ってます。
komaba226 11.JPG   komaba226 12.JPG

  komaba226 13.JPG  komaba226 14.JPG


 *三島由紀夫の短編小説「憂国」のモデルについて
以上のように偕行社目黒住宅の東西に2・26事件に密接した場所があるのですが、さらに(未だに確認中ですが)2・26事件に関連した夫妻の自決事件(2月29日朝に発見)が近辺で起こっています。三島由紀夫の短編小説「憂国」のモデルになった青島中尉(31歳)夫妻の自決です。陸軍教導学校所属で決起将校の一人・竹嶌中尉が親友(士官学校第40期の同期)であったため様々な苦悩の末に自宅で割腹をはかり、妻(キミ子25歳)も喉を突き果てています。地図の左端に記入した近衛輜重(しちょう)大隊が青島中尉の勤務先(士官学校輜重科トップ成績)で、当初はこの偕行社目黒住宅内が現場と早合点したのですが「世田谷区池尻の偕行社住宅」と記事掲載の新聞には明記。勤務地の近衛輜重大隊を目黒区と書き分けているので(新聞を疑っている)住所は池尻で間違いないようです。さあ、判リません。管理人が調べた昭和初期の地図で偕行社目黒住宅はすぐマークできたのですが・・現在、鋭意調査中です。この項目では「もうひとつの2・26事件 死が凝縮された3つの現場・駒場」とするはずだったのにひとつが抜け落ちたままのアップです。三島の短編では現場は彼の出身小学校「学習院初等科」の近く(=襲撃目標の斉藤実内大臣邸近く)に設定された為に余計にここの場所がマイナー化してしまったと思います。
*場所が判明次第、ここに追加するか別項目にするか決めます。情報が全くないので(何処かに書かれているとは思ってます。史学科の卒論の関連項目で取上げてもいいかも)苦闘が確実・・・青島中尉の墓は実家のある静岡県・・・どうしよう。

2・26事件リンク
「麻布十番 賢崇寺 二十二士の墓(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/21795261.html
「赤坂 近衛歩兵第3聯隊跡(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/138528702.html
「湯河原 牧野伯爵宿舎(前・内大臣)伊東屋旅館別荘(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/331635880.html
「中野 北一輝 検挙現場(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/331937769.html
「六本木 聯隊前 龍土軒(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/331977707.html
「赤坂 高橋是清・蔵相私邸(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/332103469.html
「内幸町 飛行会館の大アドバルーン(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/332155976.html
「荻窪 渡邊教育総監・私邸襲撃(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/332434854.html
「九段 戒厳司令部(軍人会館)(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/341259410.html
「三番町  鈴木貫太郎侍従長官邸(2・26事件)」 http://zassha.seesaa.net/article/341750813.html
「四谷 斎藤實内大臣邸(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/343167821.html

 
posted by y.s at 05:14| Comment(0) | 東京北西部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。