2013年03月06日

四谷 斎藤實内大臣邸(2・26事件)

海軍大臣・朝鮮総督・第30代内閣総理大臣(5・15事件で倒閣した犬養毅内閣の後継)・外務大臣・文部大臣を歴任し、前年(昭和10年)12月26日に第10代の内大臣に就任した斎藤實(まこと)邸への襲撃の模様です。
昭和11年3月2日に大塚憲兵分隊で行われた襲撃指揮者・歩兵第3聯隊第1中隊の坂井直(なおし)中尉(中隊長)の取調(襲撃理由)によれば「斎藤實内大臣が君側の奸臣であるということは5・15事件の被告及び相沢中佐殿の公判廷でその理由を天下に知らしめたので今更下手な意見を此処で申し上げる迄もありません」と誰でも知っている通りだと陳述し、また「相沢中佐殿の理想を貫徹し国体を顕現するために兵力を以って国家の逆賊を討ち取り・・」と続けています。

1935年(昭和10年)
2月23日(日曜)
歩兵第3聯隊の週番司令室で週番司令の安藤大尉と野中大尉と村中孝次の3名が計画協議。遅れて坂井直中尉も参加。2月26日午前0時に準備着手し午前5時を期して決行と決定。ここで坂井中尉に「斉藤内大臣邸を襲撃し任務達成後に高橋少尉と安田少尉が渡辺教育総監襲撃を担当し残余は坂井中尉の引率を以って陸軍省東北角付近に集結する」案が示される。
2月25日
夕点呼後に週番司令室・第7中隊将校室等で具体案を立案。安藤大尉が週番司令として坂井中尉に命令。「坂井中尉は第1中隊及び機関銃4銃を指揮し午前5時を期し斉藤實邸を襲撃し任務達成後なるべく速に高橋少尉(第1中隊附)と安田少尉(砲7・砲工在学中)をして軽機2分隊小銃2分隊を以ってトラック2台に分乗し渡辺教育総監私邸を襲撃し薾余の部隊は坂井中尉の引率を以って陸軍省東北角付近に終結し半蔵門、三宅坂、平河町1丁目に亙る間を警戒すべし・・・」と下命。  
午後11時 坂井中尉は下士官を起こし準備行動に。下士官を将校室に集合させて決行の方針理由並びに処置の大要を示し各下士官に任務を与える。
2月26日
午前0時 第1中隊に非常呼集命令。将校4名、下士官17名、兵191名 合計212名。命令下達後に2名の下士官が行方不明に(末吉曹長・中島軍曹・・末吉は谷町側で警戒分隊指揮要員)。襲撃参加は210名に。機関銃=MG4銃・軽機関銃8銃。小銃弾薬7200発・軽機2880発(MGは不明)・拳銃1につき30発。部署=警戒長は末吉曹長(不明で未参加)・第1突撃隊は坂井中尉と麦谷少尉(正門担当)・第2突撃隊は高橋と安田両少尉(通用門担当)。経路=歩3営門(正門・・現在の新国立美術館正門の南横)から青山1丁目ー信濃町ー斉藤邸。
午前3時20分 準備完了し第1中隊営舎前に集合。ここで下士官2名の行方不明発覚し弾薬分配に手間取り30分遅れる。部隊配置計画も崩れる。坂井中尉の陳述「断乎たる決心を以って方針を変更しませんでした」
午前3時55分 坂井中尉は全部隊に決起趣意書に基き訓示「此れから皆と一緒に天皇陛下の御為に尽くそう」。
午前4時10分 歩3営門を出発。  
午前5時 東京市四谷区仲町3丁目44番の斎藤實内大臣邸に突入。
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(左写真)道路右側の大きなMSが斉藤内大臣邸跡・・北角付近から (右写真)左奥が内大臣邸の北角・・突き辺り右に警戒軽機関銃配置
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(左写真)逆の南側から内大臣邸・・左付近に正門 第2突撃隊は通用門の開錠に手間取り正門に合流して突入 正門入って右奥の玄関前の警官詰所にいた約20名の巡査らが狼狽している所を突撃隊が殺到し包囲制圧 (右写真)内大臣邸の北側は谷町1丁目・・名の通り崖状の低地で2個分隊が散開して警戒配備=指揮予定の下士官(末吉)が逃走したため別の下士官が指揮担当(配備は地図に黒丸)
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(左写真)左奥が内大臣邸・・撮影位置は道路が東に90度に曲がっている所(レの字の角から) 襲撃終了の集合ラッパで正門に再終結しこの道路を通り省線(JR)の陸橋を渡り坂井中尉指揮の主力部隊は陸軍省東北角付近に・・別働隊(教育総監襲撃隊)は荻窪に移動してゆく 
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(左)昭和11年3月5日東京朝日新聞夕刊1面から内府邸正門 (右)昭和11年2月27日大阪朝日新聞から斉藤内府

内大臣邸に突入し警護の警官隊を制圧した後は、坂井中尉を先頭に高橋少尉、安田少尉、林伍長、機関銃手1名の5名が建物を北周りで裏口に。雨戸を打ち破って侵入し15歳ほどの給仕を捕らえて案内させ2階の内府の寝室に。ここで内府夫人春子が抵抗し立ち塞がるが押しのけて安田少尉が内府に向けまず発砲。続いて将校3人が拳銃乱射。寝室奥に倒れこんだ内府をかばうように夫人が覆いかぶさるが押し退けて射撃。ここで機関銃手も私にもと申し出て数発発砲。この間に夫人は銃口を押さえようとした為に腕に銃創を負っています(夫人の写真等の詳細は齋藤實記念館のHPで)。
午前5時15分 正門前で一同で「天皇陛下万歳」を三唱。集合ラッパを吹奏し警戒班らを省線橋上に終結させる。

*斉藤内大臣邸は旧表示では仲町ですが、現在の表示は新宿区若葉1丁目21番でその敷地には大きなMSが建っています。葬儀(本葬)は3月22日に築地本願寺で。斎藤實内大臣(享年77)の墓地は小山崎齋藤墓地。分骨されたと思いますが多摩霊園にも墓があります。この事件の遺品も展示されている記念館は以下です。 
齋藤實記念館(奥州市)http://www.city.oshu.iwate.jp/htm/soshiki/syakai/kousui/index.html
岩手県奥州市水沢区字吉小路24番地

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多磨霊園の斎藤實の墓ですが肩書きで名が余りに下方に・・

「麻布十番 賢崇寺 二十二士の墓(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/21795261.html
「赤坂 近衛歩兵第3聯隊跡(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/138528702.html
「湯河原 牧野伯爵宿舎(前・内大臣)伊東屋旅館別荘(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/331635880.html
「中野 北一輝 検挙現場(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/331937769.html
「六本木 聯隊前 龍土軒(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/331977707.html
「赤坂 高橋是清・蔵相私邸(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/332103469.html
「内幸町 飛行会館の大アドバルーン(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/332155976.html
「荻窪 渡邊教育総監私邸(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/332434854.html
「九段 戒厳司令部(軍人会館)(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/341259410.html
「三番町  鈴木貫太郎侍従長官邸(2・26事件)」 http://zassha.seesaa.net/article/341750813.html
「駒場 歩1栗原中尉私宅と山下奉文少将私宅(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/342058218.html
posted by y.s at 19:07| Comment(0) | 東京北西部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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