2013年03月10日

渋谷 東京陸軍軍法会議臨時法廷・陸軍刑務所(衛戍監獄)(2・26事件)

2・26事件の裁判(軍法会議)は計3ヶ所で行われました。名称が似ていて混乱しますが、決起将校・下士官・兵らの拘留・審議・判決が行われたのが渋谷の「東京陸軍軍法会議(臨時仮設法廷)」。相沢中佐と真崎大将の審議・判決は青山1丁目の第1師団司令部内の常設軍法会議(相沢中佐の拘留は渋谷の陸軍刑務所)。北一輝・西田税の審議・判決は第1師団歩兵第3聯隊内の臨時軍法会議(東京陸軍軍法会議が昭和12年1月に廃止撤去された為)。
東京軍法会議での公判開始は、決起を主導した青年将校らが事件から2ヶ月経った昭和11年4月28日から。やや遅れて下士官・兵・湯河原班らの公判が同年5月5日から開始。判決は一斉に同年7月5日に言い渡されました。決起将校ら17名に死刑判決(5日後の7月12日執行・・磯部・村中は翌年8月19日に執行)。北一輝と西田税らの常人(一般人)組4名は遅れて昭和12年8月14日に判決(北と西田が死刑判決・8月19日に執行)。

隊列を組み、雪を踏みしめて「昭和維新」を目指し「尊皇討奸」を合言葉に突き進んでいった2月26日から4日間の叛乱の結末は、19名の銃殺刑(自決2名)で幕を閉じました。信じていたものが幻想であったと理解した後の虚しさのなかで、拳銃の銃口を自らに向けた野中大尉・安藤大尉・・その戦術に雅拙さが目立つとしても彼らの真摯さと激情は時を越えて心に震えをもたらします。
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(左写真)渋谷の東京陸軍刑務所(衛戍監獄)内の北側位置にあった処刑場の位置近くに建つ「2・26慰霊像」(右写真)永平寺71世管長の筆になる「慰霊」
麻布十番の賢宗寺に祀られる22柱のみならず重臣4柱・殉職警官5柱・諌死3柱(竹嶌中尉の親友で自決した青島中尉ら)の計34柱の慰霊の為に昭和40年2月26日に仏心会(遺族会)によって建立
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(左右写真)処刑場跡に当たる場所(渋谷地方合同庁舎)=地図記入の位置参照 処刑場は約180cm巾で濠状に掘られており斜面奥に十字架が設置・・前方には銃座(台)が固定・・十字架が5〜6列ほど横に連なって並んでいる *モノクロ映画「叛乱」(監督・佐分利信)だったと思うのですが処刑場(銃殺)シーンが強く印象に残っており俯瞰位置からの画面に広がる土(コンクリートでない)のイメージが特に忘れられないでいる(かなり以前に観たので作品名が違っているかも)
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(右写真)慰霊像の横にある赤煉瓦壁・・これは衛戍監獄をぐるりと囲んでいた赤煉瓦の高壁の一部なのだろうか?
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現在は道路になっている西側の赤煉瓦の高壁(塀)の位置
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(左写真)現在の渋谷区役所と右端の渋谷公会堂・・二つの建物の間が陸軍刑務所の正門位置 (右写真)裏門跡に残る路地=現在はレコード・CD店が集中している路地+階段
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東京陸軍刑務所敷地の南西端に残る陸軍用地の標石・・以前は右写真の黒丸の歩道端の位置にあったが5mほど移動した
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東京陸軍軍法会議の判決を知らせる昭和11年7月7日付けの東京朝日新聞(左右共に)
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     上段の東京朝日新聞から 死刑判決の決起将校の顔写真の拡大

2・26事件リンク
「麻布十番 賢崇寺 二十二士の墓(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/21795261.html
「赤坂 近衛歩兵第3聯隊跡(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/138528702.html
「湯河原 牧野伯爵宿舎(前・内大臣)伊東屋旅館別荘(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/331635880.html
「中野 北一輝 検挙現場(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/331937769.html
「六本木 聯隊前 龍土軒(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/331977707.html
「赤坂 高橋是清・蔵相私邸(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/332103469.html
「内幸町 飛行会館の大アドバルーン(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/332155976.html
「荻窪 渡邊教育総監私邸(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/332434854.html
「九段 戒厳司令部(軍人会館)(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/341259410.html
「三番町  鈴木貫太郎侍従長官邸(2・26事件)」 http://zassha.seesaa.net/article/341750813.html
「駒場 歩1栗原中尉私宅と山下奉文少将私宅(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/342058218.html
「四谷 斎藤實内大臣邸(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/343167821.html
「青山 第1師団司令部・師団軍法会議と相沢中佐(2・26事件)」http://zassha.seesaa.net/article/343499701.html

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posted by t.z at 09:34| Comment(2) | 東京北西部tokyo-northwest | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
一つ、お教え願います。
「叛乱予備罪」や「叛乱者を利す」の罪で禁固刑になった将校も東京陸軍刑務所に入ったのでしょうか?
Posted by 訪問者 at 2013年09月11日 19:14
陸軍の将校・下士官等に対する禁固刑判決が確定した場合、その所属する師団の衛戍地に置かれた衛戍刑務所に収監されますので、第1師団所属者は東京陸軍衛戍刑務所に服役したと思われます。軍法会議にかけられた常人(一般人)、たとえば湯河原組の常人・綿引正三は禁固15年の判決(拳銃発砲等)が確定しましたが、勉強不足で何処に収監されたか・・・?です。軍法会議中の拘置は東京陸軍衛戍刑務所でしたが。

Posted by 管理人 at 2013年09月12日 03:42
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