肝臓がんのため、入院中の築地の聖路加国際病院で亡くなりました。70歳。
故人の遺志によって葬儀・告別式は行われなかったようです。
吉行氏は、老いや病気を前にしても「男のダンディズム」の粋(いき)を貫き、その人生は最後まで「余裕」を失うことはありませんでした。
1924年(大正13年)4月13日に、ここ岡山の地で吉行エイスケ(詩人)とあぐり(美容師)の長男として誕生。戦後、大学(東大英文科)を中退して雑誌社に入社。1952年「原色の街」が芥川賞候補作品になるが、肺結核を患い入院生活に。会社を休職・退職。清瀬病院に入院中の1954年、娼婦との交情を描いた「驟雨」で第31回芥川賞を受賞。「娼婦の部屋」「寝台の舟」「星と月は天の穴」「暗室」「夕暮れまで」(夕暮れ族という流行語を生む)・・主な文学賞をほとんど受賞したその作品群のなかからこの一篇をと問われれば、「砂の上の植物群」と即答。管理人が最初に吉行氏にふれたのは、作品が映画化されたスクリーンで。映画を観てから「砂の上の植物群」の活字をおったのです。小説・エッセイ・対談集などの読者から、とうとう「吉行家」全体のファンに。妹の吉行和子さんに初めてお会いした時の顛末は別項目で紹介済み。
吉行氏は容態悪化で、最初は5月9日に都内港区の虎ノ門病院に入院、亡くなる1週間前に重篤な状態となり聖路加国際病院に転院。最後を見守ったのは家族(母あぐり・妹の詩人吉行理恵・和子は海外滞在中で間に合わず)や親友の作家阿川弘之氏、実質の伴侶であり寝ずの看病をしていた女優・宮城まり子さん。
| | |
| | |
*吉行淳之助氏と宮城まり子さんが生活していた上野毛の住所は、1994年(平成6年)7月27日付けの訃報を伝える朝刊各紙に掲載されてます。妹の詩人・吉行理恵(子)さんは2006年(平成18年)5月4日に逝去され、墓は青山(外苑前)の寺院・・下記リンク参照。
*参考資料
上記日付けの朝日新聞朝刊
「吉行淳之介 街角の煙草屋までの旅」講談社文芸文庫2009年刊(P214に岡山の叔父の会社の記述)
「お墓参りは楽しい」2005年刊 (吉行淳之介墓地の項目・・地図はおおまか)
リンク
「北青山 特法寺 吉行家の墓地」http://zassha.seesaa.net/article/312370517.html
「市ヶ谷 あぐり美容室(閉店)」http://zassha.seesaa.net/article/17595273.html
【関連する記事】
- 甲府 武田信玄火葬塚 「甲陽軍鑑」より
- 青森大湊町 恐山 寺山修司「田園に死す」より
- 御殿場 富士霊園 作家高橋和巳と高橋たか子の墓標
- 姫路 おきく井戸 小泉八雲「日本瞥見記」より
- 滋賀長浜 長濱八幡宮の新旧写真
- 長崎・鍛冶屋町 レストラン銀嶺 「荒木陽子全愛情集」より
- 静岡 旧制静岡高校 吉行淳之介「焔の中」より
- 姫路 白鷺城(姫路城)天守 泉鏡花「天守物語」より
- 穂高連峰 上高地 芥川龍之介「河童」より
- 能登 御陣乘太鼓 安西水丸「ちいさな城下町」より
- 山梨御坂峠 御坂隧道と天下茶屋 太宰治「富嶽百景」より(再作成)
- 静岡 アナーキスト大杉栄の墓 瀬戸内寂聴「奇縁まんだら終り」より
- 姫路 お菊神社 志賀直哉「暗夜行路」より
- 滋賀 安土セミナリヨ跡 井伏鱒二「安土セミナリオ」より
- 山梨 甲府城址の目ざわりな石塔 井伏鱒二「甲府−オドレの木の伝説」より
- 静岡 駿府城 遠藤周作「ユリアとよぶ女」より
- 長崎・平戸周辺 遠藤周作「沈黙」より
- 名古屋・栄 白川尋常小学校跡 江戸川乱歩 「私の履歴書」より
- 倉敷 蔦のからまる喫茶店 エル・グレコ (EL GRECO)
- 丹波篠山 篠山城 水上勉「負籠の細道」から


>長嶺智枝さん
岡山の御津草生の墓地のその後のことはわかりません。2005年に北青山の特法寺に建てた吉行家の新墓地にから土とともに分骨され、現在は本墓となっていると思われます。妹の理恵さんも埋葬されてます。余談ですが和子さんとは以前テレビ番組のロケで長崎・群馬などにスタッフとしてご一緒させてもらいスナップも数枚ですが保存してます。