2013年03月14日

岡山 作家・吉行淳之介の墓

1994年(平成6年)7月26日午後6時半、吉行淳之介氏は永眠しました。
肝臓がんのため、入院中の築地の聖路加国際病院で亡くなりました。70歳。
故人の遺志によって葬儀・告別式は行われなかったようです。
吉行氏は、老いや病気を前にしても「男のダンディズム」の粋(いき)を貫き、その人生は最後まで「余裕」を失うことはありませんでした。
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岡山県岡山市北区御津金川(岡山駅から約15キロ北)の作家・吉行淳之介の眠る吉行家墓地(近年、母あぐりさんにより都内・メトロ外苑前駅近くの寺院に分骨)

1924年(大正13年)4月13日に、ここ岡山の地で吉行エイスケ(詩人)とあぐり(美容師)の長男として誕生。戦後、大学(東大英文科)を中退して雑誌社に入社。1952年「原色の街」が芥川賞候補作品になるが、肺結核を患い入院生活に。会社を休職・退職。清瀬病院に入院中の1954年、娼婦との交情を描いた「驟雨」で第31回芥川賞を受賞。「娼婦の部屋」「寝台の舟」「星と月は天の穴」「暗室」「夕暮れまで」(夕暮れ族という流行語を生む)・・主な文学賞をほとんど受賞したその作品群のなかからこの一篇をと問われれば、「砂の上の植物群」と即答。管理人が最初に吉行氏にふれたのは、作品が映画化されたスクリーンで。映画を観てから「砂の上の植物群」の活字をおったのです。小説・エッセイ・対談集などの読者から、とうとう「吉行家」全体のファンに。妹の吉行和子さんに初めてお会いした時の顛末は別項目で紹介済み。
吉行氏は容態悪化で、最初は5月9日に都内港区の虎ノ門病院に入院、亡くなる1週間前に重篤な状態となり聖路加国際病院に転院。最後を見守ったのは家族(母あぐり・妹の詩人吉行理恵・和子は海外滞在中で間に合わず)や親友の作家阿川弘之氏、実質の伴侶であり寝ずの看病をしていた女優・宮城まり子さん。
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(左写真)JR岡山駅の一番西北側(判り易く云うと賑やかで無い方)の津山線のホーム・・この列車に乗って金川駅を目指しました (右写真)その金川駅のホーム・・降りたのは数人
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きれいに整備された金川駅前前には3台のタクシー・・実は吉行淳之介の墓地の場所ははっきりと把握しておらず・・有名人なので訪れる方も多いはず・・地元のタクの運転手ならもちろんご存知・・先頭のタクシーに乗り込む・・(衝撃のお言葉)「知りません」・・「テレビ(NHK朝ドラ「あぐり」)でやってた頃はよく来てたみたいだけど、最近は・・・」・・ど、どうすれば
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(左写真)やっと辿りついた吉行家墓地・・小高い山すそに白塀に囲われた吉行家墓地が見えます(右写真)同じ位置から吉行家本家がある方向・・生家は岡山市で土建「吉行組」を経営しており叔父が後継ぎに・・
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坂下でタクシーを降りて一気に坂を駆け上り(たかったのですが・・実はゆっくり写真を撮りながら歩く)・・吉行家墓地入口に・・やっとお会いできました 右写真の中央後方に見える本家の付近
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(左写真)墓誌に刻まれた淳之介氏の戒名・・隣りには最後まで離婚に同意しなかった夫人の名・吉行文枝・・淳之介氏の死後までも果てしなく続く女の自我の争い・・実質的伴侶の宮城まり子さん(上野毛の多摩川に下る坂の途中の自宅に淳之介氏の遺体は病院から戻り、棺の中でなく書斎兼寝室のベッドに横たわって親しい方の弔問を受け付け、京都から駆け付けた瀬戸内寂聴さんの読経・散華の後、7月27日午後3時に出棺・・宮城さんは母あぐりさんの許可で葬式の一切を取り仕切ったのです)の住まいには現在も「吉行淳之介」の表札・・ほかの愛人もそれぞれ淳之介氏との日々を本にして出版してます・・読んだのは大塚英子の「暗室のなかで」だけ・・渋谷のMSにその部屋はあったようだがあいまいにしか記述されてなく場所は不明 (右写真)吉行家墓地からの眺め・・この崩された山が唯一の目印(それと草生の地名)・・この風景を目指してタクシーは出発したのです・・あとは近所(勝手に近くまで来たと判断)で農作業中の方に訊いたら「そこだよ」と指さしてくれたのです
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(左写真)JR金川駅の岡山方面の時刻表・・本数が少ないので注意

*吉行淳之助氏と宮城まり子さんが生活していた上野毛の住所は、1994年(平成6年)7月27日付けの訃報を伝える朝刊各紙に掲載されてます。妹の詩人・吉行理恵(子)さんは2006年(平成18年)5月4日に逝去され、墓は青山(外苑前)の寺院・・下記リンク参照。
*参考資料 
 上記日付けの朝日新聞朝刊
「吉行淳之介 街角の煙草屋までの旅」講談社文芸文庫2009年刊(P214に岡山の叔父の会社の記述)
「お墓参りは楽しい」2005年刊 (吉行淳之介墓地の項目・・地図はおおまか)

リンク
「北青山 特法寺 吉行家の墓地」http://zassha.seesaa.net/article/312370517.html
「市ヶ谷 あぐり美容室(閉店)」http://zassha.seesaa.net/article/17595273.html

posted by y.s at 06:29| Comment(2) | 各地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
岡山県と聞くと、頭に浮かぶのは「岩井志麻子」「横溝正史と金田一耕助」「津山事件」とミステリーばかりになってしまうのですが。吉行淳之介さんは、赤線関係の本を読んで、名前だけなんとなく覚えていたくらい。ミステリーだけじゃなく、色っぽい?もあって良かったです。
Posted by 定マニア at 2013年03月14日 21:40
岡山へ行ってきます。写真付きで助かります。ありがとうございます。
Posted by 丸山政利 at 2015年05月31日 06:06
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