管理人の好物(生八ツ橋)であり、京都駅に到着後はまずキヨスクで「聖護院生八ツ橋」を数日分まとめ買い・・・きまって「聖護院(しょうごいん) 」ブランド。
聖護院八ツ橋総本店の向いに本店を構える本家西尾老舗の八ツ橋と差別化する深い理由は別になく、赤を基調にしたトレードマークのデザインに魅かれているだけかも。
江戸期に近世箏曲(そうきょく)の基礎を確立した盲目の音楽家・八橋検校(けんぎょう)は、1685年(貞享2年)6月に多くの門弟に見守られながら72才で没します。黒谷・金戒光明寺(塔頭・常光院)に葬られますが、検校を偲ぶ人々の参拝が絶えることなく、門弟らにより検校の「箏」(そう=琴)にちなんだ形の菓子(堅焼き煎餅)が考案され「八ッ橋」と名付けられ、黒谷への参道(聖護院の森)で売られることに。検校没後4年目の1689年(元禄2年)に「八ッ橋」の製造販売の茶店「玄鶴堂」(聖護院八ツ橋総本店の前身)が現在地で創業されたのです。
「八ッ橋」の原料は米粉で、熱湯で煉り、砂糖・肉桂(ニッキ)・芥子(ケシ)の実・きな粉を混ぜ込み蒸し上げ、薄く延ばして鉄板で焼きながら鉄棒で琴の形を付けてゆきます。近年になり、焼いてない「生八ッ橋」と餡を挟み三角に折った「生八ッ橋・聖(ひじり)」が考案されてメーン商品に育ってきてます。
*参照 聖護院八ツ橋総本店のHP
八橋検校のことhttp://www.shogoin.co.jp/kengyo.html
命名の謂れhttp://www.shogoin.co.jp/gaiyo.html
詳細に紹介されてます。が、八橋検校の墓の場所は不明。常光院に葬られたことと戒名が記載されているだけ。故事にのっとり土産を買い参拝する人など現代では皆無。管理人も八橋検校って誰ではなく「何?」の中学生と同じく買い物をしただけ。だってここから金戒光明寺までかなり遠くて歩く気がおきないのです。
京都市左京区聖護院山王町6
営業時間 8:00〜18:00
定休日 無休
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*以下は八橋検校が眠る黒谷・金戒光明寺・・・ほとんど知られていない検校の墓域を迷いながらも探しあてて撮影。複雑な迷路のような細道を辿ったので案内図の作成は不可能。左写真の文殊塔のみ以前の撮影(2011年)
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金戒光明寺には幕末に京都守護職本陣(会津藩)が置かれ、京都で斃れた藩士の墓域が設けられており、墓石の氏名のチェック・撮影にも数回訪れてます。今回は真如堂(北側に隣接)散策の帰りに金戒光明寺側に抜けて立ち寄った時の撮影で、夕刻が迫りあきらめて帰途に着く寸前に巡り会えたのです。広い墓域で暗闇に包まれたら遭難必至・・石段を小走りに下山した時には真っ暗。
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