この遊郭の発祥は、元禄年間の京都所司代屋敷(二条城北側)の拡張普請によるもので、住民は幕府の強制退去命令を受け代替地であるこの地(新夷町)に移住しました。新夷町(しんえびすちょう)という町名は、明治2年2月の合併により生まれた新町名であり、それまでは新松屋町(元禄年間の移住)と夷町(安永年間の移住)の旧町名に分かれており、それぞれの頭の一文字を合わせて「新夷町」になったのです。
何故に遊郭が誕生したかは・・・移転費用もままならない住民は、生計の為に「煮売茶屋」の開業を幕府に申請し許され、次々と煮売茶屋(=遊女屋)を建てたのです。
またこの地は黒谷に移転した真如堂の跡地であり、その空地をあてがったということです・・地図の京極小学校の北側にその名残りが町名となっています。
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**参照 「日本花街史」1990年
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