邸宅の位置は、「拾遺都名所図会」の「業平卿の家」の項に、「高倉通三条坊門の南西側なり、いま、旧趾をとどめて紫水軒(しすいけん)と称す」と記されている。家の様は、「柱などもつねに似ず、ちまきばしらといふに侍りけるを、いつ頃の人のしわざにか、後にれいのはしらのやうにけずりしなしてなん侍りき。なげしもみなまろにかど(門)もなく、ついぢ(築地)もなくなりて、まことに古代のところと見え侍りき。」(鴨長明「無名抄」)と描かれている。
(写真)在原業平邸址石柱。位置は下の見取り図参照。
また伝わるところによれば(「和歌知顕集」鎌倉期成立)、業平が生涯に交わった女の数は3733人(内、重要なのは12人)であったという。井原西鶴の世之介(「好色一代男」主人公)の五十四歳までの記録(女3742人、男色725人)には僅(わず)かに及ばない。業平の色好みは、架空の人物と比べても遜色のないレベルに達しており、その貴賤を問わぬ無差別ぶりは「今昔物語」にも特記されている。
その業平にも死が訪れる。元慶(がんぎょう)四年(880年)五月二十八日。享年五十六歳(死因不明)であった(「三代実録」卒伝)。
「古今和歌集」巻十七にある業平臨終の歌。
病して弱くなりける時よめる 業平朝臣(あそん)
つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを
(写真)かっての三条坊門小路を往く時代祭(2012年10月)平安時代の行列から。
「今昔物語」巻二十七(本朝・霊鬼)第七
「在原業平中将の女、鬼に噉(く)われる語(こと)」より
<<今は昔、右近中将在原業平という人がいた。当時たいへんな色好みで、世にありとある女で美人と聞くものには、宮仕えの女であろうと人の娘であろうと、一人残らず思いをとげようと考えていたのだが、そのうち、ある人の娘が器量といい気だてといい、この世のものとは思えないほどのすばらしさだと聞いて、その女に思いをつくして恋するようになった。
しかし、高貴のお方を婿にしたいと親たちが大事にかしずきたてるので、さすがの業平中将も、しばらくは手が出せないでいたが、そのうちに、どう工夫したものか、その娘をこっそり盗み出してしまった。
うまく盗み出しはしたものの、すぐには連れ込んで隠すような所もない。思いあぐんで行くうちに、北山科のあたりに荒れはてて人も住まない古い山荘があった。その家の内には大きな校倉(あぜくら)があり、片戸(かたど*片側のみが開く戸)は倒れていた。昔人の住んでいた建物は、板敷の板もなくなっていて、入れそうにもないので、この倉の内に薄縁(うすべり)一枚を持っていって、この女を連れ込み、二人で臥していたところ、にわかに稲妻が光って、雷ががらがらと鳴り出したので、中将は太刀を抜いて、女を背後に押しやり、一人起きて太刀をきらめかしていた。
そうするうちに、雷もしだいにおさまって夜が明けた。ところが、女が一言もいわないので、不審に思った中将がふり追って見ると、女の頭と着ていた衣だけが残っている。中将はあきれはてて、恐ろしさのあまり、着る物も取りあえず逃げ去ってしまった。
こういうことがあってからはじめて、その倉が人を取る倉だとわかったのである。されば、その夜のことも、雷や稲妻ではなくて、倉に住む鬼のしわざだったのだろうか。
されば、様子のわからない所へは、けっして立ち寄ってはならない。まして、そんな所へ泊まろうなどとは考えてもならない、と語り伝えたとのことである。>>(全文)
東洋文庫「今昔物語集5」1968年平凡社刊より
(写真)三条坊門小路(幅約12m)は、現在大幅の拡張され御池通と改名されている。
在原業平邸址の石柱は、この信号を向う側(南側)に渡った角に設置されている。
(見取り図)小路の道幅は四丈=約12m。この付近の大路(道幅約24m)は二条大路、東洞院(ひがしのとういん)大路である。
参考 「都名所図会四」安永9年版 ちくま学芸文庫
【関連する記事】
- 京都 薩摩藩定宿鍵屋跡 織田作之助「月照」より
- 京都 五山送り火 水上勉「折々の散歩道」より
- 京都 南禅寺三門 松本清張「球形の荒野」より
- 比叡山延暦寺西塔 弁慶伝説 海音寺潮五郎「源義経」・「吾妻鏡」より
- 京都祇園 料亭備前屋 織田作之助「それでも私は行く」から
- 京都 錦市場 荒木陽子「長編旅日記 アワビステーキへの道」より
- 京都三条木屋町 大村益次郎の遭難 「木戸孝允日記」より
- 京都・四条河原町 喫茶・築地 「荒木陽子全愛情集」より
- 京都宇治 萬福寺 水上勉「画文歳時記 折々の散歩道」より
- 京都 四条河原町 喫茶ソワレ
- 京都百万遍 梁山泊と思文閣MS 水上勉「画文歳時記 折々の散歩道」より
- 京都嵯峨野 竹林 谷崎潤一郎「朱雀日記」より
- 京都 八坂庚申堂 くくり猿
- 京都伏見 第十六師団第九連隊輜重隊跡 水上勉「私の履歴書」より
- 京都 山科 志賀直哉邸跡 「山科の記憶」より
- 京都 嵯峨院跡・大沢池 白洲正子「幻の山荘」より
- 京都河原町二条 香雪軒 谷崎潤一郎「瘋癲老人日記」より
- 京都伏見 淀古城 谷崎潤一郎「盲目物語」より
- 京都八幡市 橋本遊郭跡 野坂昭如「濡れ暦」より
- 京都嵯峨朝日町 車折神社 谷崎潤一郎「朱雀日記」より

