2013年09月12日

大阪 錫屋町 井原西鶴・終焉の地

松尾芭蕉、近松門左衛門と並び江戸時代初期の元禄文学を代表する俳諧師(浮世草子作者)井原西鶴の終焉の地(旧・錫屋町の真ん中辺りに石碑)付近です。
1642年(寛永19年)に町人の子として大阪に誕生したと各年譜に記載されていますが、その出自の詳細は不明。西鶴は自らを皆無といえるほどに語っていません。谷町筋の本町通から南に下った中央通までの細長い土地=旧・錫屋町(すずやまち)に井原西鶴の草庵・隠居所があり、辞世の句「浮世の月見過しにけり末二年」を残し、1693年(元禄6年)8月10日に52歳で没しました。墓は誓願寺(上本町西4丁目1-21・・上町筋のエネオスの隣)。
生年も不詳であるため、没年・没年齢から逆算して1642年(寛永19年)と確定されています。
西鶴の没した翌年(元禄7年)の10月12日に、ライバルの俳諧師・松尾芭蕉が51歳で没。同じ大阪の西に1.5kmほどの至近距離(難波別院前の御堂筋道路上に石碑)で、共に高架の阪神高速道路を見上げる位置に石碑が設けられています。
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谷町筋を南方向に撮影 左先の歩道に終焉の地の石碑 甲南アセット谷町ビルの真ん前
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1692年(元禄5年)10月21日 京都の藤本箕山(きざん)への書簡に「大阪谷町四丁目 すゞ屋町ひがしがハ 俳諧師西鶴」と記されており 錫屋町に住した証しが残っています 内容は大阪の旦那衆に頼まれていた京都・島原遊郭の太夫らの色紙(サイン)の依頼
俳諧師・西鶴は 41歳を迎えた1682年(天和2年)10月に初めて浮世草子(小説)を世に送り出します 主人公・世之介の7歳〜60歳までの恋に身をくだく人生を各地の遊里を舞台に描写 戯れた女3742人・若衆(少年男色)725人 世之介が枯れることなく60歳で女護の島に渡ってゆくまでの八巻八冊・・江戸期文学の最高峰のひとつ(浮世草子の創始)と評される「好色一代男」です
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辞世「浮世の月見過しにけり末二年」の句が刻まれています
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参照 「井原西鶴 新潮古典文学アルバム」1991年 「西鶴文学地図」1993年 他
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posted by t.z at 23:58| Comment(0) | 大阪osaka | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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