1642年(寛永19年)に町人の子として大阪に誕生したと各年譜に記載されていますが、その出自の詳細は不明。西鶴は自らを皆無といえるほどに語っていません。谷町筋の本町通から南に下った中央通までの細長い土地=旧・錫屋町(すずやまち)に井原西鶴の草庵・隠居所があり、辞世の句「浮世の月見過しにけり末二年」を残し、1693年(元禄6年)8月10日に52歳で没しました。墓は誓願寺(上本町西4丁目1-21・・上町筋のエネオスの隣)。
生年も不詳であるため、没年・没年齢から逆算して1642年(寛永19年)と確定されています。
西鶴の没した翌年(元禄7年)の10月12日に、ライバルの俳諧師・松尾芭蕉が51歳で没。同じ大阪の西に1.5kmほどの至近距離(難波別院前の御堂筋道路上に石碑)で、共に高架の阪神高速道路を見上げる位置に石碑が設けられています。
![]() | ![]() |
![]() | ![]() |
俳諧師・西鶴は 41歳を迎えた1682年(天和2年)10月に初めて浮世草子(小説)を世に送り出します 主人公・世之介の7歳〜60歳までの恋に身をくだく人生を各地の遊里を舞台に描写 戯れた女3742人・若衆(少年男色)725人 世之介が枯れることなく60歳で女護の島に渡ってゆくまでの八巻八冊・・江戸期文学の最高峰のひとつ(浮世草子の創始)と評される「好色一代男」です
![]() | ![]() |
![]() | ![]() |
【関連する記事】
- 大阪 楞厳寺 織田作之助の墓 太宰治「織田君の死」・吉村正一郎「織田作の墓」より..
- 大阪 大坂城天守前広場の作家・海音寺潮五郎 井伏鱒二「入隊當日のこと」より
- 大阪北浜 淀屋橋 落語「雁風呂」六代目三遊亭圓生より
- 大阪・釜ヶ崎 三角公園 野坂昭如「マッチ売りの少女」より
- 大阪船場・御霊神社 御霊文楽座 谷崎潤一郎「青春物語」より
- 大阪西成 映画「太陽の墓場」(大島渚監督)釜ヶ崎ドヤ街ロケ
- 大阪天満 川端康成生誕地 短編「葬式の名人」より
- 大阪難波 一芳亭のしゅうまい 吉本ばなな「ヨシモトバナナコム2」より
- 大阪南 旅館(待合)千福とカフエ・ユニオン 谷崎潤一郎「芥川龍之介が結ぶの神」よ..
- 大阪 大坂冬の陣 真田出丸
- 大阪 通天閣 川上弘美「ニシノユキヒコの恋と冒険」から
- 大阪 かやくめし「大黒」 小津安二郎の「手帖」から
- 大阪 宗右衛門町界隈 池波正太郎「大阪ところどころ」より
- 大阪 天保山 日本一低い山の座譲る
- 大阪 菓子司 鶴屋八幡本店 小津安二郎の「手帖」から
- 大阪 美々卯本店 小津安二郎の日記から
- 大阪 道頓堀 いづもや 織田作之助「夫婦善哉」より
- 大阪 木の實 織田作之助の短編「大阪発見」から
- 大阪 阿部定の足跡 飛田遊郭・御園楼
- 大阪 山内法律特許事務所(近代建築)