2013年10月14日

世田谷 用賀 東条英機邸跡 

昭和16年1月8日、陸軍大臣東条英機の名において全陸軍に対し「戦陣訓」が下布されている。本訓その二の第八の「名を惜しむ」条項に、「生きて虜囚の辱めを受けず・・」という有名な条文がある。繰り返し叩き込まれたこの訓戒により、<俘虜(ふりょ)の辱めを受けず>に幾多の将兵が自決の道を選択していった。
予備役陸軍大将・東条英機は、1945年(昭和20年)8月15日、用賀の私邸で敗戦の詔勅(正午放送)を聴いている。その直後の午後1時には、娘婿の死を告げる電話を受けている。この日、娘婿の近衛師団所属の古賀秀正少佐(27歳)は、天皇の録音盤奪取クーデタ(宮城事件)に参加するが失敗、自決したのだ。
この宮城事件の発生で騒然としていた未明4時過ぎに、陸軍大臣・阿南惟幾(あなみ これちか)は三鷹の私邸(作家太宰治の家の斜め向い)で、日本刀による割腹自決を遂げている(墓は多摩霊園)。
東条の自決も世間は当然という空気に包まれる。だが、「戦陣訓」に署名した本人が自決したとのニュースは依然として流れてこない。
8月30日、連合軍総司令官マッカーサーが厚木に降り立ち、9月2日には東京湾に停泊した戦艦ミズーリ甲板上で降伏文書の調印式が行われる中、GHQが東条以下の内閣閣僚を戦争犯罪人として逮捕する噂が流布しだす。
   yoga tojo01.jpg  yoga tojo02.jpg
1945年(昭和20年)9月11日午後2時に、GHQ(連合軍総司令部)は東条の逮捕を公表、横浜から逮捕部隊は用賀の私邸に向かうが道に迷ってしまい辿り着けない。上左右写真の私邸前(当時とは異る。敷地内の防空壕も取り壊されているだろう)には、すでに内外の報道陣多数が待ち構えている状態だった。その時分、東条は妻かつ子とお茶とおはぎで昼をすごしている・・・自決はどうしたのだ? 
yoga tojo03.jpg  yoga tojo04.jpg
米軍別働隊は、前日(9月10日)、東条邸でのインタビューに成功していたアメリカ人記者を先導役にして、午後4時にやっと用賀に到着する。Pクラウス少佐指揮のMP(憲兵)部隊である。騒然とする玄関前の様子を耳にするに及んで、東条はやっと自決の意思を固める。応接間の椅子に座り、所有していた米国製(ブローニング社製)25口径でなく、8月15日に娘婿が自決に使用した拳銃(32口径コルト)を手にとったのだ。午後4時17分に銃声。心臓を狙ったのだが結果は失敗(通常はこめかみを撃ち抜くと思うのだが)。連合軍(米第一師団)の病棟で応急処置を受けた後、横浜本牧の米軍病院に搬送され、本格的な治療を受ける(本牧一帯は当時、無数といってよいほど多数の蒲鉾型の米軍兵舎が立ち並んでいた)。結果は見事なまでに「生きて虜囚の辱めを受ける」結果になった。
         yoga tojo05 1948 11 13.jpg
1948年(昭和23年)11月12日の東京裁判最終判決を報じる13日付け朝日新聞朝刊
戦犯の処刑は、巣鴨刑務所(現・池袋のサンシャイン60の敷地)の絞首刑台(東池袋中央公園内の北角位置)で、同年12月23日に執行された。
参考
「東条英機 大日本帝国に殉じた男」2002年刊

*東条の娘婿の古賀秀正少佐が参加した宮城事件を描いた映画作品「日本のいちばん長い日」1967年8月3日公開・東宝作品は観る価値がある。岡本喜八監督作品で、阿南惟幾陸軍大将の自決シーンを演じる三船敏郎の演技が(セリフが無いため)印象に残る。黒沢年男が演じる畑中健二少佐が主役扱い。東条の娘婿古賀秀正少佐は佐藤允が演じている。モノクロ作品。
【関連する記事】
posted by t.z at 16:40| Comment(0) | 東京北西部tokyo-northwest | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。