2013年10月15日

京都 宇治 通圓(つうえん)

宇治橋の東詰で茶舗を営む「通圓」(つうえん)。かき氷の吊旗やソフトクリームの大きなPOPが目立つ為に観光地特有の土産物屋兼休み処にみえますが、由緒を知ればその「歴史」に驚かされるのです。
略歴です。宇治橋の架橋は646年(大化2年)・・・日本史年表の最初のほうの「大化の改新」にワープです。この宇治橋を通る道は、古代から中世にかけての奈良と京都を結ぶ重要な大和街道。平治の乱の直後、1160年(永暦元年)に宇治橋の東詰に庵を結んだ僧形が現れます。名は「通圓」。源頼政の家臣だった古川右内が、頼政より「政」の字を賜って太敬庵通圓政久と号し草庵を結んだのです。1180年(治承4年)5月、頼政が以仁王を奉じて平氏打倒の兵を挙げると、通圓政久は馳せ参じたのですが宇治橋の合戦で主君頼政ともども討死。この主従の関係を物語った狂言が「通圓」です。初代通圓亡き後、子孫は草庵のある宇治橋東詰に住み、橋の管理にあたるとともに大和街道を往来する人々に茶を振舞って来ました。豊臣秀吉が京の聚楽第を廃棄し伏見に城を築くと、通圓は名水といわれた宇治の水を橋の三の間から汲み上げて城に届けた話が伝承されてます。茶舗として営業するのは明治期に入ってだが、建物は江戸初期の築と伝えられてます。
 *宇治橋の三の間・・「井原西鶴 好色一代男」(現代語訳)の主人公・世之介49歳・島原遊郭の高橋太夫の話に「三の間」が出てきます。「好色一代男」を読んでる人は少ないと思いますが、全編エロ話なので結構面白い。宇治橋まで水を汲みに行かせた話の(注)に「三の間」の説明・・・橋の西詰(JR宇治駅側)から第2橋脚と第3橋脚の間を流れる水は茶の湯用として当時賞味されていた・・・
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(左写真)通圓の正面 (右写真)宇治橋対岸(西詰)からの通圓 写真左端付近が「三の間」
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左右とも通圓の茶席・・・宇治橋を望める向きの席がお気に入り
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平等院の塔頭・最勝院(さいしょういん)にある源頼政の墓の傍らにある通圓の墓・・自然石に「太敬庵通圓之墓」と刻まれている
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 *参照 最勝院の通圓家の墓の説明板 他
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posted by t.z at 23:57| Comment(0) | 京都kyoto | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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