2013年10月16日

京都 阿ぶり餅 一和

一文字屋和輔・・・屋号と名前を一字ずつ取って「一和」と称している茶店。
創業は1000年(長保2年)。伝承によるのだろうが、よくわからないほど昔。藤原摂関家が権力の中枢を占めていた時代で、おおまかだが「枕草子」「源氏物語」が成立し、陰陽師安倍晴明がその頃に世を去っている。その頃から餅をあぶり白湯(茶の栽培開始時期が不明・・宇治ではさらに百年後?)を振舞っている(のだろうか)。疑問符だらけになるので現代に。
今宮神社の東門前で2軒の茶屋が向かい合い競うように客を呼び込んでます。南側が「かざりや」で反対側が「一和」。今宮神社の写真2枚の内、境内から撮った分は1994年3月に訪れた時のもの。「一和」の店先で竹串に刺した餅を火床であぶっていた先代(23代)のおばあちゃんの言葉が思い出される(女がらみの話題なので内緒・・おばあちゃんの言葉通りにはならなかった)。10数年後に訪れても時が止まっているかのように同じ2軒の茶店から呼び込みの声がかかる。餅をあぶる香ばしい匂いも同じ。「一和」のおばあちゃんはすでに7年前に亡くなられていた。詳しい話を聞くことも無く「阿ぶり餅」を一人黙ったまま食べていた・・・2005年のことだったのかな。
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    今宮神社境内から・・東門の先にかざりや(右)と一和(左)
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(左写真)今宮神社南門・・今宮門前通から2012年撮影 (右写真)1994年3月撮影・・境内から
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手前のかざりやの角から一和の建物 竹串の先端に刺した餅を少し焦げ目をつけてあぶり 白味噌のタレにつけて皿に・・「阿ぶり餅」です
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地図左下に記入した京都市立紫野高校(旧制紫野中学)に通学していた作家・水上勉が そのエッセイに「2軒の餅屋」について記述している・・要約すると「放課後にこの朱の二重層門をくぐって境内に入って 二軒の餅屋の前を通り相国寺まで廻り道をして帰った」と旧制中学での日々を回想している 左写真の右から左へ旧制中学の制服を着た小僧時代の水上勉がトコトコと歩いてきそう
今宮神社の項の説明になる予定ですが 境内の地図に桂昌院の碑の位置に黒丸印・・桂昌院とは五代将軍綱吉の生母で三代将軍家光の側室お玉の方・・今宮神社の復興に寄与し「中興の祖」と称されてます 出身は京都西陣の八百屋の娘「玉」・・現在でも使われている言葉「玉の輿」のお玉さんです 今宮神社の見所です
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  一和 営業時間 10時〜17時 水曜が定休日(水曜が1・15・祝日の場合は営業)
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posted by t.z at 23:58| Comment(0) | 京都kyoto | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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