2013年10月18日

町田 「文学散歩」創始者 野田宇太郎の墓

詩人・文学評論家の野田宇太郎が眠る青柳寺の墓前に立つと、手を合わせるのと同時に心の内で報告をする。「またあなたの後ろにくっついて網島まで行って来ました・・同じように寺の門をくぐって」(「野田宇太郎 文学散歩第17巻 関西篇」の「心中天の網島」の項を読んで、大阪城北方の網島町を訪ねた時の報告・・今年の8月)。青柳寺はそれほど遠方ではないため時々「文学散歩」がてらお参りしているのです。
戦後の焼け跡だらけの東京の市街を歩き廻り、失われた文学の故地についてのエピソードを語りながら、記憶の断絶が起こらぬようにマーキングし後続の世代に重要な情報を伝えた・・・その功労者が「文学散歩」の祖・野田宇太郎。
<着古した破れ外套(がいとう)のポケットに、黄色の鉛筆一本と、小さな手帳、それに一冊の新東京地図というのをしのばせた。これがすべてである。履き馴れた日和下駄(ひよりげた)に蝙蝠(こうもり)傘というあの三十六年前の「日和下駄」の雅士(がし=永井荷風のこと)とはくらぶべくもない私の心と姿である。古きものは滅びる、新しきものは古びる。それは自然の理(ことわり)である・・・>野田宇太郎「東京ハイカラ散歩」より・・・数々の著作をなしていた町田市図師町の小高い丘の住居(1973年より10年住む)から、立川市砂川町8丁目に移転して間もない1984年(昭和59年)7月20日の午後に急性心筋梗塞のため逝去。享年74歳。7月22日に妻トシさんを喪主として砂川町の自宅で葬儀が執り行われている。
戒名・・・・文學院散歩居士。
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 墓石の表は俗名が刻まれているが 右側面の戒名は面目躍如の「文學院散歩居士」
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妻トシさんは2009年(平成11年)9月に83歳で亡くなられている 青柳寺の広い墓域の北側付近に位置する野田宇太郎の墓の周囲には田中冬二ら文学者の墓が取り囲んでいる 右写真は高知出身の詩人・乾直恵の墓・・前面が室生犀星の書で側面が野田宇太郎の書
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青柳寺の山門・本堂 左手(西方向)にゆくと墓域に・・この坂の奥に野田宇太郎の墓
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小高い墓地の端から望む町田駅方向 地図は2009年頃に作成分

以下は 上記の町田市図師町の小高い丘の上にあった住居(1973年より10年間居住)の写真2枚
<坂を上り詰めた奥の疎林の下影に一軒離れて寂しい寓居がある・・・2階の座敷の奥から相模の大山や・・>野田が語った西向きの書斎からの風景は 故・遠藤周作が同じように語った玉川学園の丘上の住居とそっくりです
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「新東京文学散歩」を著した書斎があった野田宇太郎旧居跡 町田市図師町2228-8番地
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参考にした「東京ハイカラ散歩」1998年刊 「すみれうたの思い出 回想 野田宇太郎」1987年刊
posted by y.s at 23:26| Comment(0) | 東京郊外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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