戦後の焼け跡だらけの東京の市街を歩き廻り、失われた文学の故地についてのエピソードを語りながら、記憶の断絶が起こらぬようにマーキングし後続の世代に重要な情報を伝えた・・・その功労者が「文学散歩」の祖・野田宇太郎。
<着古した破れ外套(がいとう)のポケットに、黄色の鉛筆一本と、小さな手帳、それに一冊の新東京地図というのをしのばせた。これがすべてである。履き馴れた日和下駄(ひよりげた)に蝙蝠(こうもり)傘というあの三十六年前の「日和下駄」の雅士(がし=永井荷風のこと)とはくらぶべくもない私の心と姿である。古きものは滅びる、新しきものは古びる。それは自然の理(ことわり)である・・・>野田宇太郎「東京ハイカラ散歩」より・・・数々の著作をなしていた町田市図師町の小高い丘の住居(1973年より10年住む)から、立川市砂川町8丁目に移転して間もない1984年(昭和59年)7月20日の午後に急性心筋梗塞のため逝去。享年74歳。7月22日に妻トシさんを喪主として砂川町の自宅で葬儀が執り行われている。
戒名・・・・文學院散歩居士。
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以下は 上記の町田市図師町の小高い丘の上にあった住居(1973年より10年間居住)の写真2枚
<坂を上り詰めた奥の疎林の下影に一軒離れて寂しい寓居がある・・・2階の座敷の奥から相模の大山や・・>野田が語った西向きの書斎からの風景は 故・遠藤周作が同じように語った玉川学園の丘上の住居とそっくりです
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