2013年10月29日

鎌倉 作家・大佛次郎旧邸と別邸(大佛茶廊)

横浜市英町1丁目(現・中区英町8番地)生まれの野尻清彦(大佛次郎の本名)が鎌倉に住み始めるのは、1921年(大正10年)から。同年2月に東京帝国大学法学部在学中に学生結婚(女優の原田登里と)し、6月に帝大を卒業すると鎌倉高等女学校(現・鎌倉女学院)の国語・歴史・作文担当の非常勤教師に。最初に住んだのが鎌倉大仏の裏の貸別荘。「大仏」の裏なのです。
以降、由比ガ浜から長谷にかけての借家に居住し、震災後は元の大仏裏に戻った後に材木座で移転を繰り返す。めまぐるしい引越しの連続です。その間の大正12年3月付けで女学校を退職し、雑誌の原稿書きや翻訳読物の出稿で生計をたて始める。震災直後に書いた小説(「隼の源次」)に思いつきで付けたペンエームが「大佛次郎」。引越し同様にペンエームもめまぐるしい程に多彩です。代表出世作「怪傑鞍馬天狗」をはじめとする111作品で使用した筆名は18に及んでいる。そして大正13年に京都の日活撮影所で「鞍馬天狗」(主演・尾上松之助)の撮影が始まる。1927年(昭和2年)3月、「少年倶楽部」に「少年の為の鞍馬天狗 角兵衛獅子」を連載開始(昭和3年5月まで)。5月から東京日日新聞に「赤穂浪士」の連載が始まる。大佛次郎はその作家生活(全て在鎌倉)で休むことなく新聞小説を発表し続けてゆく・・・その数は61篇。そして嵐寛十郎主演で映画「鞍馬天狗」決定版シリーズが公開されてゆく。
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1929年(昭和4年)4月に鎌倉市雪ノ下428番地に新居を建設し移る・・・めまぐるしい転居生活はここに終止符を打つ 正面が野尻清彦(=大佛次郎)本邸
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細路地をはさんで北側が後年に購入した別邸・・・板を交互に張る大和塀の内側には庭園が広がっている 右側が野尻清彦(=大佛次郎)本邸にあたる
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1952年(昭和27年)に購入した別邸の門と本名「野尻」の表札 南面に広がる庭園を望む茅葺(かやぶき)き木造平屋建ての家は関東大震災前の築造(1920年大正9年)
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茶邸門向かって右側に鎌倉在住の作家・里見クの直筆になる表札(平仮名四文字)が掲げられている 内部は「大佛茶廊」として週末(土・日曜)に一般公開されてます
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新婚時代の大佛次郎が教師を務めた鎌倉高等女学校(現・鎌倉女学院)の若宮大路側の正門
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源頼朝の父・義朝の館があった地に1200年(正治2年)に頼朝夫人政子が建てた臨済宗建長寺派の寿福金剛禅寺(寿福寺) その墓域奥に両親とともに眠る大佛次郎 命日は1973年(昭和48年)4月30日 享年75歳(告別式は同寺で5月3日) 
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1927年(昭和2年)5月東京日日新聞に「赤穂浪士」を連載開始(昭和3年11月まで) 1942年(昭和17年)1月〜6月 新聞小説「阿片戦争」を東京日日新聞に連載 
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大佛次郎死去の後 4年を経た1977年12月に落成した大佛次郎記念館のチケット(横浜・港の見える丘公園内) 参考(他多数)にした「新潮日本文学アルバム」1995年刊・・表紙の猫を抱く大佛次郎・・大の愛猫家です 15匹までと限定しなければならないほど猫を愛した生活 「文士の愛した鎌倉」55ページに掲載されている1列に並んで食事する猫たちの写真・・愛おしく見つめる大佛次郎の表情 またいつか寿福寺の崖下に手を合わせに行こう

 大佛茶廊の参考に「鎌倉 上生御菓子処 美鈴」http://zassha.seesaa.net/article/378730399.html
posted by y.s at 02:48| Comment(0) | 関東各地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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