新聞小説「それでも私は行く」は京都・先斗町のお茶屋「桔梗屋(ききょうや)」の美貌の三高生の息子・鶴雄を主人公にして、毎回、目的もなく市中を歩くまわる姿が実在の町名や店名とともに描き出されてゆく。
鶴雄は寺町通の錦ビルにある「世界文学社」(織田作の友人・柴野の会社が登場)をたずねると、偶然そこには「小田策之助」(もちろん織田作本人)と出会う。その作家はこれから書く小説「それでも私は行く」のモデルになってくれと依頼してくる。毎回に渡って知人・友人らが変名で続々登場し、「小田策」もその執筆している「ちぎりや別館」で本人そのままに描かれる。読者は次回はどの町が舞台になって、どの店が出てくるのか楽しみで待ちきれないはず。読者をひきつける術を心得た「織田作ワールド」が展開されるのです。
![]() | ![]() |
<人通りが多いーというより、まるでどうしてこんなに人間がいるのかと、思われるくらい混雑している京極や、寺町通りを横切ると、もうそこは、打って変ったようにひっそりと静まりかえって、いかにも京都らしい家並みが続く蛸薬師通りである。ここは人通りもまばらである。その蛸薬師(たこやくし)の通りを西へ真っ直ぐー御幸町(ごこまち)を越え、麩屋町を過ぎ、富小路を二三軒西へ行くとちぎり家の別館があった。三条通りにあるような、大きな旅館ではない。しかし、町中でありながら、ひっそりとした蛸薬師通りにありそうな、こぢんまりとした小綺麗さの中に、古い格式の匂いを渋く漂わせたこの旅館は、時々鼓の音がする。お能の関係者がよく泊るーといえば、うなずかれるのだが、いかにも鼓の音でも聴えて来そうな旅館である。だから、看板もデカデカと大きくない。看板というより、門標といった方が似合う。竹に「ちぎりや旅館」とつつましく刻んである。その門標の掛った軒下へ、鶴雄を待たせて、宮子は中へはいって行った。>
左写真の左右の通りが蛸薬師通、左端の縦方向が富小路通 正面に見える雰囲気のある木造の建屋が地図で示したK家 千切屋別館はその右の大きなマンションの位置にありました 別館と北側向かいの本館ともに取り壊されてビルに建て替えられてます
![]() | ![]() |
この小説には先述の通り多くの実名の建物・店舗が次々と登場します。冒頭に登場する四条大橋南詰の「東華菜館」、高瀬川沿いのしるこ屋「べにや」、河原町三條の「キャバレー歌舞伎」などなど。次は何処をアップしようかな。つまんねえから辞めたほうがいいか。
*参考 中京区詳細地図=吉田地図社 「可能性の旗手 織田作之助」現代教養文庫 他
織田作之助リンク
京都 三嶋亭 織田作之助「それでも私は行く」からhttp://zassha.seesaa.net/article/380550110.html
本郷 喫茶店「紫苑」の織田作之助と太宰治http://zassha.seesaa.net/article/381424205.html
大阪 阿倍野 料亭「千とせ」跡 織田作之助http://zassha.seesaa.net/article/382857023.html
大阪 口繩坂 織田作之助「木の都」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/381516708.html
京都 書店そろばんや 織田作之助「それでも私は行く」からhttp://zassha.seesaa.net/article/382937234.html
【関連する記事】
- 京都 薩摩藩定宿鍵屋跡 織田作之助「月照」より
- 京都 五山送り火 水上勉「折々の散歩道」より
- 京都 南禅寺三門 松本清張「球形の荒野」より
- 比叡山延暦寺西塔 弁慶伝説 海音寺潮五郎「源義経」・「吾妻鏡」より
- 京都祇園 料亭備前屋 織田作之助「それでも私は行く」から
- 京都 錦市場 荒木陽子「長編旅日記 アワビステーキへの道」より
- 京都三条木屋町 大村益次郎の遭難 「木戸孝允日記」より
- 京都・四条河原町 喫茶・築地 「荒木陽子全愛情集」より
- 京都宇治 萬福寺 水上勉「画文歳時記 折々の散歩道」より
- 京都 四条河原町 喫茶ソワレ
- 京都百万遍 梁山泊と思文閣MS 水上勉「画文歳時記 折々の散歩道」より
- 京都嵯峨野 竹林 谷崎潤一郎「朱雀日記」より
- 京都 八坂庚申堂 くくり猿
- 京都伏見 第十六師団第九連隊輜重隊跡 水上勉「私の履歴書」より
- 京都 山科 志賀直哉邸跡 「山科の記憶」より
- 京都 嵯峨院跡・大沢池 白洲正子「幻の山荘」より
- 京都河原町二条 香雪軒 谷崎潤一郎「瘋癲老人日記」より
- 京都伏見 淀古城 谷崎潤一郎「盲目物語」より
- 京都八幡市 橋本遊郭跡 野坂昭如「濡れ暦」より
- 京都嵯峨朝日町 車折神社 谷崎潤一郎「朱雀日記」より