2013年11月11日

三田 綱町三井倶楽部の武家屋敷長屋(解体)

三田2丁目3番の旧・三井家綱町別邸に、三井家の賓客接待用として建設された「綱町三井倶楽部」(ジョサイア・コンドル設計で大正2年に完成)。その敷地の北西角に、江戸期の旧藩邸の屋敷の一部と思える建物一棟が残されていました。三井家綱町別邸は、西隣のオーストラリア大使館の敷地と合わせて、江戸時代末期までは島津家の上屋敷。明治期には蜂須賀侯爵邸と移り変わっている。現在はオーストラリア大使館と綱町三井倶楽部は道路で隔てられているが、その道路が造られた位置に島津藩邸時代は屋敷門が存在していたはず(江戸切絵図は屋敷門の位置に家紋を印していた)。綱町三井倶楽部内にあった土壁造りの建物は、取り除かれた屋敷門の東脇にあたり、屋敷門の警備にあたる下級武士か足軽の長屋(住居)としてあったものと考えられます。
2008年8月になると外壁解体工事が開始され、建物周辺は工事フェンスで覆われてしまったのです。貴重な文化財であるはずの長屋構えの建物は間をおかず解体処理。歩道設置工事が完成しても、あの「長屋」は復元された気配がないようです。
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  道路側のコンクリート壁は昭和20年代は木柵であった 歩道は無く車道路肩のみ
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道路側長屋の上部外壁は白漆喰(しっくい)塗 下側は下見板張
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(左写真)2008年8月撮影 外壁工事開始 (右写真)2008年11月撮影 外壁・歩道拡張工事終了間際 長屋遺構は消滅
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工事標示により長屋遺構の面積・高さが分かります 地図*長屋のあった所は現在は信号付き十字路・・藩邸の表門位置と推測 向い角に辻番所がありました
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posted by t.z at 23:56| Comment(0) | 東京東南部tokyo-southeast | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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