2013年11月13日

神田小川町 笹巻きけぬきすし総本店

1702年(元禄15年)に初代・松崎喜右衛門が江戸・竈河岸(へっついがし)(=現在の日本橋人形町2丁目10番くらい?=江戸・住吉町裏河岸=細い運河が人形町通で行止りになる町人地・吉原が新吉原に移転した跡地の東端付近)で笹巻鮨を世に広め、評判を得て以来、現存している江戸最古の鮨屋として現在も神田小川町で営業を続けています(店の由来書を参照 現在は13代目宇田川浩氏)。
現在では主流となっている江戸前握り寿司が出現したのは、笹巻鮨の出現から100余年後の文政年間のこと。江戸最古の笹巻毛抜鮨と両国橋を渡った回向院前で握り寿司を考案した花屋(小泉)与兵衛、深川・安宅六間堀の松が鮨(堺屋松五郎)を江戸三鮨(えどさんすし)と称してます。
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靖国通りの小川町交差点を聖橋方向(本郷通りをJR御茶ノ水駅方向)に60mばかり進むと江戸元禄からの老舗・笹巻鮨に
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強めの酢でしめた飯に塩漬けしたネタを押し巻き殺菌効果のある笹葉でくるんだ元来は携行保存食として考案された鮨(戦国期の腰帯に付けた兵糧をヒント) 近年は食べやすく調理されているがそれでも酢・塩分はやや強い 一部のネタは季節により変わります(由来書に詳細な説明有り) 営業情報が入ってないので・・日曜休み 9時〜18時30分(土曜17時まで)
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以下は、江戸三鮨に名が挙がっている両国橋東詰の町人地・元町にあった花屋(小泉)与兵衛
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江戸前握り寿司を創り出した老舗は昭和5年に閉店し歴史は断絶
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この老舗の名をピックアップしたチェーン食事処があるが無関係
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posted by t.z at 20:43| Comment(0) | 東京東南部tokyo-southeast | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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