北野上七軒(遊郭)で揚屋を営む「鍵屋哥(かぎや・うた)」の店を訪れた幕府歩兵隊(洋式軍装)の兵二人が、宿営地まで遊女の派遣を依頼するのだが、馴染みがないため拒否されてしまう。難癖をつけて店に居座ってしまったため、店側は近くに宿舎を構える見廻組与頭に助けを請う使いを出す。見廻組の者が取締まりに駆け付けるが、歩兵隊の一人は逃げ帰ってしまう。
暫くすると歩兵隊幹部(吉田直八郎ら)が与頭・佐々木只三郎の宿舎(観音寺)を訪れ抗議を始めるが、妙心寺からさらに武装した歩兵が多数駆けつけてくる(歩兵一小隊の資料も有り)。指図もないまま観音寺に向けて実弾を数十発(数発説も有り)打ちかけてしまう。一旦は収まるが、夜に入ると再び数百人が屯集し発砲騒ぎに。見廻組も天満宮境内に二百人ほどが詰めて対峙する。結果は、通り合わせた会津藩と薩摩藩士の仲介により収拾することに。翌日、双方から進退伺いがだされるが、時局を考慮し内々で処置されることに。
| |
| |
北野天満宮で騒動が起った前年からの簡易な年譜です。
1866年(慶応2年)
1月6日 京都見廻役・蒔田相模守(浅尾藩主)に文武場の奉行兼任命令(中立売通智恵光院付近)
1月21日 薩長同盟成立する(坂本龍馬の裏書き)
4月3日 見廻役・松平出雲守の辞任により蒔田相模守が一時的に兼任
6月7日 第二次長州征伐開始
7月20日 将軍家茂病没する(21歳)
8月20日 幕府 将軍家茂の喪を発し一橋慶喜の徳川宗家の相続を公布
8月21日 将軍死去により長州征伐中止の勅令下る
9月4日 幕府 長州征討軍の撤兵を始まる
9月12日 三条制札事件 新選組が土佐藩士8名を襲撃
11月15日 京都見廻組 堀石見守が空席となっている松平出雲守の後任として京都見廻役に任命
12月5日 徳川慶喜 二条城にて第15代将軍宣下
12月25日 公武合体派の孝明天皇病没(?)36歳 崩御により公武合体派は衰退
病死(天然痘)が疑われ毒殺説がささやかれる
1867年(慶応3年)
1月9日 睦仁親王践祚((明治天皇)
2月 京都所司代同心の桂早之助(龍馬を斬った?)・世良吉五郎ら見廻組並に登用
3月24日 北野天満宮周辺で幕府歩兵隊と京都見廻組の衝突j事件発生
(与頭佐々木只三郎の観音寺宿所に銃弾撃ち込まれる)
谷中 宗林寺 京都見廻組・佐々木只三郎の供養碑http://zassha.seesaa.net/article/315992196.html
【関連する記事】
- 京都 薩摩藩定宿鍵屋跡 織田作之助「月照」より
- 京都 五山送り火 水上勉「折々の散歩道」より
- 京都 南禅寺三門 松本清張「球形の荒野」より
- 比叡山延暦寺西塔 弁慶伝説 海音寺潮五郎「源義経」・「吾妻鏡」より
- 京都祇園 料亭備前屋 織田作之助「それでも私は行く」から
- 京都 錦市場 荒木陽子「長編旅日記 アワビステーキへの道」より
- 京都三条木屋町 大村益次郎の遭難 「木戸孝允日記」より
- 京都・四条河原町 喫茶・築地 「荒木陽子全愛情集」より
- 京都宇治 萬福寺 水上勉「画文歳時記 折々の散歩道」より
- 京都 四条河原町 喫茶ソワレ
- 京都百万遍 梁山泊と思文閣MS 水上勉「画文歳時記 折々の散歩道」より
- 京都嵯峨野 竹林 谷崎潤一郎「朱雀日記」より
- 京都 八坂庚申堂 くくり猿
- 京都伏見 第十六師団第九連隊輜重隊跡 水上勉「私の履歴書」より
- 京都 山科 志賀直哉邸跡 「山科の記憶」より
- 京都 嵯峨院跡・大沢池 白洲正子「幻の山荘」より
- 京都河原町二条 香雪軒 谷崎潤一郎「瘋癲老人日記」より
- 京都伏見 淀古城 谷崎潤一郎「盲目物語」より
- 京都八幡市 橋本遊郭跡 野坂昭如「濡れ暦」より
- 京都嵯峨朝日町 車折神社 谷崎潤一郎「朱雀日記」より

