2013年11月23日

日本橋北槙町 桜田門外ノ変 関鉄之介と遊女瀧本(いの)

吉村昭の歴史小説「桜田門外ノ変」(上)より、大老井伊直弼の行列襲撃の現場指揮者であった水戸藩浪士・関鉄之介と新吉原の遊女・瀧本との<なれそめ>を語った部分を引用。
<<その夜、かれは、日本橋北槙町に足をむけた。そこには、いのという女が住んでいた。いのは、以前、新吉原の谷本楼で瀧本という名で遊女をしていた。鉄之介は、江戸へ出た折に藩の者と谷本楼に登楼し、瀧本を知った。(略)半年ほどした頃、鉄之介は、瀧本の姿が谷本楼から消えたのを知った。楼の者にきいてみると、瀧本は、老齢の裕福な商人に身請けされて谷本楼から去ったという。(略)それから一年後、かれは小石川の藩邸近くの路上で、偶然、瀧本(実名いの)と出会った。立話をしたが、それによると身請けしてくれた老人が病死し、今では日本橋北槙町の兄熊二郎の家に身を寄せているという。いのは、今後も鉄之介に会いたいとしきりに言い、鉄之介もそれに応じてしばしば夜を共にするようになった。やがて、かれは、いののために熊二郎を店請け(身元保証人)として北槙町中橋に家を借りてやり、そこにいのを住まわせた。 鉄之介は、いのの親が伊予の大洲藩関係の者であったことを知り、気性がしっかりしていて立振舞いも尋常であり、書に巧みなのも当然である、と思った。彼女は、二十二歳であった。>> P269より 
「桜田門外ノ変」の後、関鉄之介ら逃亡した浪士を追跡する幕吏の探索の網に引っかかり、瀧本(本名いの)は隠れ家を提供したかどで捕らえられ、伝馬町の牢獄送りとなる。実話だ。大老襲撃計画を知っていたはずだと、厳しい詮議(拷問)を受け、瀧本は獄死する。伝馬町で果てた者は小塚原(現在の南千住・処刑場と死体捨置場があった)に運ばれ、捨てられるのだ(浅く埋められ土を被せられる)。瀧本は短い23歳の人生を終えた。
   sakurada ino01.jpg   sakurada ino02.jpg
小塚原処刑場跡に建てられた回向院にある桜田烈士の墓列 その中に伊能(いの)の墓も在る 「関鉄之介妾伊能遺墳」と刻まれている 墓石右面には命日が刻印

以下の写真は、瀧本(実名いの)が獄死した伝馬町牢獄跡
sakurada ino03.JPG  sakurada ino04.jpg
現在の地下鉄日比谷線小伝馬町駅の近隣にある伝馬町牢獄跡。明治8年5月27日の市ヶ谷監獄完成・移転により廃止され、牢屋跡地は火除地(火災延焼防止用空き地)になる。現在は保育園(旧小学校)敷地・十思公園となり、南隅に設置されていた処刑場(首切り土壇場があった)跡には大安楽寺が建てられている。*「土壇場」は現在では日常の言葉として使用されている。
sakurada ino05.jpg  sakurada ino06.jpg
傳馬町牢獄の簡易見取り図を作ってみた(左図)。拷問・病気等で牢死した囚人は裏門(東側門)から運び出され、小塚原に大八車で運ばれた。いのもこの東側門から桶に入れられ運ばれたのだろう。(右写真)東京駅八重洲口。右斜め前付近が、襲撃直前まで関鉄之介の隠れ家があった日本橋北槙町(町人地)。中央通り寄りの地名が北槙町中橋、いののために借りた家があった。
sakurada ino07.jpg  sakurada ino08.jpg
(左写真)江戸期の日本橋北槙町に該当するブロック。現在の東京駅八重洲口を背にして右斜め前が北槙町であった。明治初期になって始めて地番が付けられ、外堀側から右廻りに順に1・2・3とふられた。隠れ家(北槙町中橋)はどのあたりであったのか? 武家の出で遊女となったいのにこれ以上は近づけない。

小説「桜田門外ノ変」(下)P214から
<<「妓女瀧本、万延元年申(さる)年の七月六日牢死、二十三歳、旧吉原谷本楼の娼(しょう)、本名いの、日本橋北槙町常吉地借り熊二郎方同居、大洲藩へ引渡さる」>>
sakurada ino09.JPG sakurada ino10.JPG
(左写真)遊郭吉原のメーンストリートであった仲之町。後ろを振り向くと大門(おおもん)方向。(右写真)瀧本(いの)が在籍した谷本楼を、明治10年の吉原細見図で探してみるが・・・・。
参考
「幕末維新全殉職者名鑑」(瀧本の名が掲載されている)

桜田門外ノ変リンク
愛宕 桜田門外ノ変 水戸・薩摩浪士集結地http://zassha.seesaa.net/category/837931-1.html
鎌倉 桜田門外ノ変 広木松之介の顕彰墓碑http://zassha.seesaa.net/article/375779732.html
【関連する記事】
posted by t.z at 23:56| Comment(1) | 東京東南部tokyo-southeast | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いのさんが、かわいそうです。
桜田門外の変と、いのさんの存在は、忘れません。
Posted by 中野 at 2016年05月14日 20:04
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。