京都・三高(現・京都大学教養課程)近くのカフェー「ハイデルベルヒ」の住み込み女給であった宮田一枝を見染めて以来、4年9ヶ月が経った1939年(昭和14年)7月15日に、両家の親族の立会いで阿倍野筋2丁目の料亭「千とせ」松の間で挙式(その室内の記念写真は評伝等に掲載されている)。参列者は、宮田家の両親、作之助の親代わりの竹中タツ(長姉)夫婦ら計9名であった。
作之助は、昭和12年5月から東京・本郷森川町(東大正門向い一帯)の学生下宿「秀栄館」(木造二階建て)に入居し、劇作修行の名目で約2年間をすごすが、この年(昭和14年)の3月に完全に東京から引き揚げ、大阪郊外の富田林の姉夫婦(竹中家)の家に寄寓していた。4月には日本敷物新聞に就職し結婚に備えているが、4月末には退社し織物新聞に移っている。結婚後の9月にはさらに中之島の日本工業新聞社に籍を移した(社屋は昭和16年に西区京町堀に移転)。
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参考
「織田作之助」大谷晃一 沖積舎
位置情報は阪南文化協会の大正10年発行の地図による
織田作之助リンク
京都 三嶋亭 織田作之助「それでも私は行く」からhttp://zassha.seesaa.net/article/380550110.html
京都 織田作之助が執筆に使った「千切屋別館」http://zassha.seesaa.net/article/379223394.html
本郷 喫茶店「紫苑」の織田作之助と太宰治http://zassha.seesaa.net/article/381424205.html
大阪 口繩坂 織田作之助「木の都」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/381516708.html
京都 書店そろばんや 織田作之助「それでも私は行く」からhttp://zassha.seesaa.net/article/382937234.html
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