<<西木屋町――。高瀬川の小さな流れに架った紅屋橋のほとりに、「べにや」というしるこ屋がある。この店のまわりは疎開跡の空地になっているが、ここだけは巧く疎開をまぬがれたらしい。店の軒には紅屋に因んだ赤提灯が、いかにも助かりましたという感じで、京都らしくぶら下っている。こぢんまりした綺麗な店で、竹で編んだ床几に、尻にかくれるような小さな坐蒲団がちょこんと置いてあり、柱には誰の句か、「一力の焦茶の暖簾春の雪」と、赤い短冊が掛っている。ちかごろ京都の町々に急にふえて来た京趣味、茶室風のしるこ屋の一つだが、この店がほかの店と変っているのは、常連に先斗町の芸者が多いことだ。店のすぐ鼻の先が先斗町であるからだろうか、それともこの店が小鼓の家元の美貌の三人兄弟が男手だけで経営しているからだろうか。もしそうだとすれば、この三人兄弟を張りに来るその芸者を、張りにやって来る男の客ほど世に間の抜けたものはあるまい。>>
・・・<疎開跡の空地>はその後、児童公園・市営駐車場に変わっている。下図参照。
<<夜の木屋町は美しかった。「べにや」の軒の長い赤提灯、円いピンク・ブルウ・レモンイエローの提灯の灯りが、高瀬川の流れに映って、しみじみと春の夜更けの感じだった。三好は、キャバレー歌舞伎を出て先斗町へ戻って行く君勇や鈴子や小郷のあとを、ひそかに、しかし執拗につけて行きながら、そんな木屋町の美しさが、かえって恨めしかった。焼けた大阪とくらべて、何という違いだろう。かつて、京都は大阪の妾だといわれていた。大阪あっての京都であった。それほど、京都は古障子のように無気力であった。ところが、今や古障子の紙は新しくはりかえられて、京都は生々とよみがえっている。旦那の大阪が焼けて、落ちぶれてしまうと、当然妾の京都も一緒に落ちぶれるかと思われたのに、旦那と別れた妾の京都は今は以前にもまして美くしく若返り、日本一の美人になってしまっている。>>
以下は青山光二著「純血無頼派の生きた時代」から・・・織田作之助と青山光二は、昭和21年3月末頃に「べにや」を訪れ、並びのそば屋「大黒屋」で食事をしている。P154とP158。
<<高瀬川をへだてた向うの西木屋町の家並に目をやるのといっしょに、(ああ、「紅屋」のあった辺りだな・・・)と呟いていた。川にかかった小さな橋を渡ったところで、その一郭だけ家並が、川ぞいの道路からひっこんでいる。街衢(がいく)のかたちから、私はそう思ったのだ。「紅屋」という京趣味のしるこ屋が、戦後しばらく経って、その一郭の、川べりに寄った角に開店した。美貌の三人兄弟が男手だけで経営しており、先斗町の芸者が彼らを張りにくるという評判の店だった。
軒に紅提灯(ちょうちん)のかかった入口の暖簾をくぐると、茶室ふうの店内で、ほんの十人も客が来れば満席になりそうな手狭なその店へ、織田が私をつれて行ったのは、昭和21年三月の終りか、四月のはじめ頃だったろうか。(略)
急に客が立てこんできた「紅屋」を、間もなく出た私たちは、河原町筋へ通じている路地をほんの二十メートルばかり歩くと、「紅屋」から五、六軒おいた同じ並びにある名代のうどん屋「大黒屋」にはいった。「大黒屋」できつねうどんを食べてから、麩屋町四条下ルの世界文学社へ舞い戻った。>>
蕎麦 大黒屋 創業1916年(大正5年)と書かれた案内書があるが 女将さん曰く「昭和18年創業です」
定休日 火曜 営業時間 11時30分〜21時
織田作之助リンク
京都 三嶋亭 織田作之助「それでも私は行く」からhttp://zassha.seesaa.net/article/380550110.html
京都 織田作之助が執筆に使った「千切屋別館」http://zassha.seesaa.net/article/379223394.html
本郷 喫茶店「紫苑」の織田作之助と太宰治http://zassha.seesaa.net/article/381424205.html
大阪 阿倍野 料亭「千とせ」跡 織田作之助http://zassha.seesaa.net/article/382857023.html
大阪 口繩坂 織田作之助「木の都」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/381516708.html
京都 書店そろばんや 織田作之助「それでも私は行く」からhttp://zassha.seesaa.net/article/382937234.html
大阪 難波南海通 波屋書房 織田作之助http://zassha.seesaa.net/article/383029592.html
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