2013年12月24日

大阪 難波 雁次郎横丁 織田作之助「世相」から

難波の「雁次郎横丁」を知る人が少なくなっている。というか居なくなっている。織田作之助の短編「世相」の記述で、おおよその見当はつけていたのだが、確認のために近辺で古くから店を構えている店主らに伺ってみても、あいまいな返事に終始するだけ。
1946年(昭和21年)、敗戦の混乱の中で発表された「世相」(「人間」4月号)から<雁次郎横丁>を描写した部分を抜粋。
<<雁次郎横丁――今はもう跡形もなく焼けてしまっているが、そしてそれだけに一層愛惜を感じ詳しく書きたい気もするのだが、雁次郎横丁は千日前の歌舞伎座の南横を西へはいった五六軒目の南側にある玉突屋の横をはいった細長い路地である。突き当って右へ折れると、ポン引と易者と寿司屋で有名な精華学校裏の通りへ出るし、左へ折れてくねくね曲って行くと、難波から千日前に通ずる南海通りの漫才小屋の表へ出るというややこしい路地である。この路地をなぜ雁次郎横丁と呼ぶのか、成駒屋の雁次郎とどんなゆかりがあるのか、私は知らないが、併し寿司屋や天婦羅屋や河豚料理屋の赤い大提灯がぶら下った間に、ふと忘れられたように格子のはまったしもた家やがあったり、地蔵や稲荷の蝋燭の火が揺れたりしているこの横丁は、いかにも大阪の盛り場にある路地らしく、法善寺横丁の艶めいた華かさはなくとも、何かしみじみした大阪の情緒が薄暗く薄汚くごちゃごちゃ漂うていて、雁次郎横丁という呼び名がまるで似合わないわけでもない。ポン引が徘徊して酔漢の袖を引いているのも、ほかの路地には見当らない風景だ。私はこの横丁へ来て、料理屋の間にはさまった間口の狭い格子づくりのしもた家の前を通るたびに、よしんば酔漢のわめき声や女の嬌声や汚いゲロや立小便に悩まされても、一度はこんな家に住んでみたいと思うのであった。>>

千日前・歌舞伎座(現在はビックカメラ)の南横を入る細路地は消滅しており、目印の玉突屋(ビリヤード場)ももちろん無い。織田作が教えてくれた<精華学校裏の通り>へ廻ってみると西側からの路地は残っている。ポン引や易者の姿があれば訊ねてみるのだが・・・。寿司屋のかわりに焼肉屋の大きな看板が見える。焼肉屋の角を織田作の説明とは逆の西側(精華学校側)から入ってみる。ビルの壁の間の路地に料理屋どころか店1軒さえない状態。右側は大きなラブホにかわっていて、玉突屋のほうへ抜けられるはずの路地は閉鎖され進むことができない。行き止まりになってしまった路地の横に小さな祠がビル壁にへばりつくように祀ってある。織田作が書いた<地蔵や稲荷の蝋燭の火が揺れたりしているこの横丁>のその地蔵(建て直しだが)に違いないと確信した。
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旧・精華小学校裏の通りから「雁次郎横丁」に入った所 右側がラブホ「ハイパー」 突き当たりを左に折れると玉突屋の角に出られたのだが・・・
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北側へ抜ける道は閉鎖されている 1981年刊の大谷晃一著「カラーブックス大阪文学散歩」の「雁治郎横丁」の写真にはまだ営業している店(クラブ木暮)が写っている
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戦前の焼失する前の「雁治郎横丁」を織田作は「大阪発見」(「改造」昭和15年8月号発表)に描写している。岩おこし屋「津の清」とあわせて書かれた部分を抜粋。
<<屋根に、六つか七つぐらいの植木の小鉢が置いてあったのを見て私は、雁治郎横丁を想い出した。雁治郎横丁は千日前歌舞伎座横の食物路地であるが、そこにもまた忘れられたようなしもた家があって、二階の天井が低く、格子が暑くるしく掛っているのである。そしてまた二つ井戸の岩おこし屋の二階にも鉄の格子があって、そこで年期奉公の丁稚が前こごみになってしょんぼり着物をぬいでいたのである。そうした風景に私は何故惹きつけられるのか、はっきり説明出来ないのであるが、ただそこに何かしら哀れな日々の営みを感ずることはたしかである。>>
<楽天地が1930年(昭和5年)に閉鎖された後、1932年に跡地に松竹の「大阪歌舞伎座」が建てられ、中村鴈治郎(初代)ら歌舞伎役者が出演・・・その鴈治郎の住居がこの路地にあったことからの呼称>といわれています。
「なにわ難波のかやくめし」成瀬國晴著(東方出版)の巻末に掲載されている戦前の詳細な地図に全面的に負っています。織田作之助の「夫婦善哉」ラストに登場する日本橋南詰にあった天牛書店(現在も各地で営業中)の古本コーナーで偶然手に取った書物です。定価2000円を500円で購入。西長堀の市立中央図書館3階で参考のため「大阪春秋」(現在152号まで発行)各号に目を通していますが、そこに掲載されている戦前・戦後の難波の地図が「なにわ難波のかやくめし」を底本にしているため、書名にすぐ反応できました。
織田作之助リンク
京都 三嶋亭 織田作之助「それでも私は行く」からhttp://zassha.seesaa.net/article/380550110.html
京都 織田作之助が執筆に使った「千切屋別館」http://zassha.seesaa.net/article/379223394.html
本郷 喫茶店「紫苑」の織田作之助と太宰治http://zassha.seesaa.net/article/381424205.html
大阪 阿倍野 料亭「千とせ」跡 織田作之助http://zassha.seesaa.net/article/382857023.html
大阪 口繩坂 織田作之助「木の都」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/381516708.html
京都 書店そろばんや 織田作之助「それでも私は行く」からhttp://zassha.seesaa.net/article/382937234.html
大阪 難波南海通 波屋書房 織田作之助http://zassha.seesaa.net/article/383029592.html
京都 しるこ屋べにや 織田作之助「それでも私は行く」からhttp://zassha.seesaa.net/article/383338605.html
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posted by y.s at 23:37| Comment(0) | 大阪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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